研究紹介

がん研究 スポットライト

病理画像をデータ化して予後診断や新たながん治療に役立てたい
コンピュータによる最新の画像解析技術や人工知能を用いて、山本陽一朗博士は癌細胞の病理診断を数理的に解析するシステムを開発した。これまで他分野との共有が困難だった病理の情報が、この「数理病理学」という新たなアプローチによって発病や浸潤メカニズムの解明、さらには新たな治療や創薬の開発につながると期待されている。
信州大学医学部病理組織学講座 助教 山本 陽一朗
膨大で“難解な”病理情報のデータ化に挑戦

ご専門の病理(組織)学にビッグデータ解析がどう活かされるのか教えてください。

ご存知のようにがんの病理診断は病理医が行っています。病理診断法は、19世紀前半にドイツの医師 Virchow*が提唱した細胞病理学に基づいて、「細胞そのものの形」を見るという診断法が基礎になっています。現在に至るまで、この病理学で蓄積された知識量は実に膨大なものになります。
ところが、病理医による診断書はすべて文章で書かれています。これは、細胞の詳細な情報を盛り込むために必要であり、情報を臨機応変に記録できるというメリットをもっているのですが、一方で文字量が膨大なうえに病理学の専門用語がずらっと並ぶという、専門外の人には難解きわまりない文書になりがちです。外科の臨床医でも病理診断書の中身をすべて把握するのは困難でしょう。また、まとまったデータとして解析するのにも向いているとはいえませんでした。

思うに、医学のなかで病理は画像解析技術がかなり遅れていました。ですから、もし病理診断の「画像」をデータ化することができれば、病理学における先人の知恵を現場の外科医や内科医はもとより、理学や工学の研究者たちとも共有することが可能になると思ったのです。それに、細胞の形態情報を数値化できれば、数理解析を行うことも容易になるだろうと発想しました。

そこで、最新のコンピュータによる画像解析技術を用いて病理標本上の数万を超える細胞のすべてを測定し、「細胞の顔」解析を行うシステムを構築したのです。たとえれば「形態情報のマイクロアレイ」です。一般の人には、細胞の「顔認証システム」構築といえばイメージしていただきやすいかもしれません。

具体的にはどのようにしてシステムを構築されたのですか?

まず、対象とする細胞核すべてに対して、面積、円形度、長径、短径、核染色性の均一度などを含む数十から数百の形態特徴量を測定します。そして、その測定データを対象に人工知能や数理モデルを用いて解析し、細胞ごとにその形態的な特徴を分類・分析していくのです。

ここで大きなポイントとなるのは、分類するための具体的なルール全てを機械に教え込む必要はなく、測定したデータを人工知能に自動的に「学習」させることによって各細胞を分類・分析することができるということです。チェスの元世界チャンピオンがコンピュータに負けた*のをご記憶の方もいるかと思いますが、チェスや将棋のソフトも人工知能に学習させることで格段に進歩していきました。細胞の分類も人工知能に学習させることが可能になっているのです。

【形態情報ビッグデータ解析法のフローチャート】
  1. 病理標本(または細胞診の標本)に対して対象とする細胞に合わせ各種染色をおこなう。
  2. 染色後の標本をデジタル化する。
  3. コンピューターを用いて対象とする細胞(または細胞核)を全て抜き出す。
  4. それら全ての細胞に対して各々の形態特徴量(面積、円形度、長径、短径、核内染色性の均一度など。数十〜数百の特徴量)を測定する。そして算出されたデータに対して、人工知能や数理モデルを用いて解析を行い、細胞の特徴を解明していく。

ところで「定量化した病理画像」をどう解析していくかですが、方向性としては2つ考えられます。ひとつは、医学を支える病理診断及びその補助として役立てるというもの、もうひとつは、病気のメカニズム解明に用いるというものです。私は特に後者の、病気のメカニズム解明をめざしています。病理学に蓄積された知識を分野の垣根をこえて共有することにより、新たな発見に結びつけていきたいのです。その最初の実証として取り組んだのが、乳がんの浸潤メカニズムの解明でした。

【病理画像の定量化による二つの異なる可能性】

(左)将来的な診断補助と(右)病気のメカニズム解明としての新たなツール。


プロフィール
山本 陽一朗

山本 陽一朗(やまもと よういちろう)
信州大学医学部病理組織学講座 助教

2004年 東北大学医学部卒
2006年 臨床研修終了
2009年 東北大学大学院医学系 研究科博士課程修了(福本学教授)医学博士。その後、日本医科大学付属病院 土屋眞一教授の元で乳腺病理を学ぶ。また2012年からはアメリカ・ハーバード大学(マーティン・ノワック教授)、メイヨークリニック(デビット・デングリ教授)に定期的に研究滞在し数理生物学の研究を行う。
2013年 信州大学病理組織学教室(菅野祐幸教授)助教。
2014年 ドイツ・ハイデルべルク大学(ローランド・アイリス教授)にてコンピューター科学と病理学との融合研究に従事。
2015年 帰国、現在に至る。
病理専門医。

注釈
【Virchow】
Rudolf Virchow(1821-1902)ドイツの医師、病理学者。白血病の発見者でもある。日本では「フィルヒョウ」「ヴィルヒョウ」などと呼ばれる。
【チェスの元世界チャンピオンがコンピュータに負けた…】
ロシア出身のガルリ・カスパロフさんが1997年にスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」に敗れたことを指す。