研究紹介

がん研究 スポットライト

病理画像をデータ化して予後診断や新たながん治療に役立てたい
人工知能を駆使して乳がん浸潤のメカニズム解明をめざす

病理画像の定量化が乳がんの浸潤メカニズム解明にどうつながったのですか?

現在、乳がんは日本を含めた先進諸国の女性が最もかかりやすいがんで、国内では1年で1万人以上が乳がんにより亡くなっています。ただし非浸潤性の乳がん(DCIS)に限定すれば5年生存率は98%以上ですから、がんの浸潤の有無によってその予後は大きく異なってきます。

DCISも時間の経過とともに浸潤がんに移行するのですが、悩ましいことに移行する時間は人によってさまざまです。悪性度が高くて1年後には浸潤がん(=進行がん)になる人もいますし、おとなしいタイプのDCISなら、無治療で経過観察を約20年続けたところ浸潤がんに移行したケースは約半数だったという報告もあります。浸潤がんに進行するメカニズムの解明は、乳がん研究にとって大きなテーマのひとつなのです。

【乳がんの進展】

乳がんの浸潤メカニズムを明らかにするうえで注目したのが、がん細胞の周囲にいる「筋上皮細胞」でした。乳管を詳しくみてみると、腺上皮細胞、筋上皮細胞、そして基底膜という層構造をとっているのがわかります。
乳がんができるのは腺上皮細胞ですが、筋上皮細胞の形態情報を解析することにより、がん細胞そのものの情報がなくても、腫瘍の悪性度がどこまでわかるかを調べたのです。実は病理の世界では長年の経験から、がん細胞の周囲にいる細胞ががん細胞に対してさまざまな働きをしているだろうという予想がある程度ありました。それをきっちりデータで示そうとしたわけです。
具体的にはドイツのハイデルベルク大と共同で、約1万個の筋上皮細胞すべてに対して個別に人工知能を用いた「顔」認識を実施しました。さらに、電子顕微鏡により詳細な細胞形態を調べたのです。

【乳腺筋上皮細胞の電子顕微鏡写真】

乳がん細胞の隣にいる筋上皮細胞。

正常な筋上皮細胞は乳汁を外に出すために、オキシトシンというホルモンによって収縮します。また、この筋上皮細胞が基底膜を作りだしたり、がん化した上皮細胞が血管新生を作ろうとするのを抑えこんだりする働きをもつことが明らかになってきています。そして今回の私たちの解析結果から、がん細胞の近くにある筋上皮細胞ほど、本来正常な筋上皮細胞にあるはずの機能が低下していたり、がん細胞の拡がりを抑えきれなくなっていることがわかってきました。さらに私たちが当初予想したのをはるかに超えて、筋上皮細胞の情報を調べるだけで90%以上の確率で腫瘍本体の良悪性判定ができるほど、筋上皮細胞はがん細胞から非常に強い影響を受けていることがわかりました。

それは、がんの自動診断や、浸潤の時期を見極める手がかりになるのですか?

残念ながら「90%」では診断レベルで用いるのは不十分です。病理診断には最低でも99%いかないといけません。そのためにはブレークスルーが必要であり、これからの課題の一つだと思っています。
ただし、乳がんの浸潤メカニズムを研究するうえでの「90%」は非常に有用な数字といえます。ここから新たなものが発見される可能性を秘めています。ですから私たちは、筋上皮細胞の機能がなぜ低下するのかを調べるため、世界中の研究者が蓄積してきた膨大なデータベースを用いてデータマイニング* を実施しました。その結果、筋上皮細胞の機能を低下させることの原因となる候補物質がいくつか絞り込まれています。現在、培養細胞を用いて、さらに解析を行っている最中です。

このように、乳がん浸潤のメカニズムを解明することはがん細胞を成長、浸潤させないという新たながん治療や創薬研究へ結びつくことが期待できます。さらには病理画像を定量化して数理解析を行うことによって、がんが浸潤する時期の予測や抗がん剤等の治療効果予測が可能になると考えています。

【病理画像解析の一例】

人工知能によって、青い細胞(良性組織にいる可能性が高い細胞)、赤い細胞(悪性病変周囲にいる可能性が高い細胞)に分類されている。また各々の高さ(Z軸)は識別境界(黄色)からの距離を表している。

細胞診標本に対しても解析可能であり、その応用範囲は広い。
図中のグラフは各細胞核の形態情報量のプロファイルを表している。


注釈
【データマイニング】
巨大データベースから有用な情報を抽出する技術。