研究紹介

がん研究 スポットライト

「転移の芽」となるがん細胞を分子レベルで解析する
がんは転移すると依然として完治が難しいとされる。下野博士は、乳がん患者さんの手術検体を活用した生体モデルを用いて転移の初期段階にある「転移の芽」を分離し、その性質を分子レベルで解析している。長年培った「がん幹細胞」に関する知見を応用して、がんが転移する初期のメカニズムを明らかにすることで、がん転移をそれが明らかになる前に克服する方法を見出すことを目指している。
神戸大学大学院医学研究科 分子細胞生物学分野 准教授 下野 洋平
乳がんの転移をがん幹細胞に着目して研究

乳がんは他のがんよりも完治の見極めが困難なようですね。

がんは腫瘍ができた場所(原発巣)の組織を破壊するだけでなく「循環がん細胞」となり血管やリンパ管の流れに乗って全身に広がります。循環がん細胞のほとんどはやがて死滅し、ごく一部のみが他の臓器に生着します。このような段階にあるがん細胞のことを私は「転移の芽」と表していまして、この「転移の芽」が増殖し始めることを「転移」ととらえています。
となると、循環がん細胞の段階はいわば「転移の種(たね)」です。それが他の臓器に定着して「芽」となり、すぐに大きくなって明らかな転移巣になる場合もあれば、芽のまま一生変化しない場合もあるし、あるいは免疫機能などにより結局排除されてしまう場合もあると考えています。

「転移」はがんが進行した状態でおこる現象と解釈されがちですが、実は早期の乳がん患者さんのうち約20%の人の血液中などに既にがん細胞がみられるという報告もあります。早期の乳がんで治療により完治したと思われても、時には10年以上経過してから再発転移することが少なからずあります。このようながん細胞が、どこでどのようにして長期間体内で潜伏しているのかは、あまりにも微小で検出が困難なことや、解析モデルが少なく分離が困難なことなどから、これまでは解明されてこなかったのです。

「転移の芽」として将来明らかな問題を起こしてくるがん細胞を、ごく早期の段階でとらえて解析する意義は非常に高いと私たちは考えています。そこで注目したのが「がん幹細胞」でした。

【「転移の芽」となるがん細胞の生物学的スクリーニング】

転移臓器に生着して「転移の芽」となるがん細胞は、原発巣からの離脱、血流を介した循環、転移臓器への侵入、転移臓器への生着という複雑な過程を経て選別される。「がん幹細胞」の性質は、これらの選別過程でのがん細胞の生存にも有利に働くと考えられる。


転移も「がん幹細胞」がかかわっているのですか?

私はヒトのがん組織に含まれる「がん幹細胞」の性質を解明する研究を10年以上にわたって続けてきました。がん幹細胞は、乳がんの塊をつくるがん細胞のうち5〜10%以下と比較的少数しかない細胞ですが、がんの病巣を形成する能力が極めて高いことが移植実験の結果から分かっています。がん幹細胞以外のがん細胞(非腫瘍原性がん細胞)がその100倍あっても、それだけではがんはできませんでした。こうしたことからも、転移巣を作る能力をもつのはがん幹細胞だということが容易に予想できます。

私たちが「転移の芽」と呼んでいるがん細胞は、がん幹細胞マーカーの発現も極めて高く、また、移植実験で少数の細胞から腫瘍を形成することからもがん幹細胞に相当すると考えられます。
とはいえ、原発巣と転移巣はがん細胞にとって増殖する環境が異なりますから、性質も異なるのではないかと考えました。

私は既に、原発巣のがん組織からごく少数のがん幹細胞を選び出して、それらを制御する分子機構を解明する手法を確立しています。その手法を用いて、がん幹細胞が転移巣にどうかかわるのか解析を進めています。

「がん幹細胞」はヒト乳がん組織の形成にきわめて重要な働きをしています。同様にがん転移の解析においても、「がん幹細胞」に着目することで、がんの進展にかかわる重要な分子機構を明らかにすることが可能だと私たちは考えています。

ヒト乳がん組織を酵素処理により単細胞にまでバラバラにしてからセルソーター*を用いて、がん幹細胞とその他のがん細胞(非腫瘍原性がん細胞)にわける。がん幹細胞は数百個でも腫瘍を形成できるが、非腫瘍原性がん細胞はその百倍の量を用いても腫瘍形成ができない。非腫瘍原性がん細胞で発現が高いマイクロRNA-200cは、幹細胞の自己再生による維持に重要なポリコーム群タンパク質BMI1などの発現を抑える。一方、がん幹細胞で発現が高いマイクロRNA-142は幹細胞の機能を増強するWNTシグナル伝達系の働きを高める。


プロフィール
下野 洋平

下野 洋平(しもの ようへい)
神戸大学大学院医学研究科 分子細胞生物学分野 准教授

1993年3月 名古屋大学医学部卒業
1993年4月 名古屋第一赤十字病院 研修医
1995年4月 名古屋第一赤十字病院内科医師(呼吸器内科)
2001年3月 名古屋大学大学院医学系研究科 修了(医学博士)
2002年4月 日本学術振興会特別研究員(PD)
2005年11月 米国スタンフォード大学医学部幹細胞生物学・再生医学研究所 博士研究員
2009年7月 米国スタンフォード大学医学部幹細胞生物学・再生医学研究所 リサーチ・アソシエイト
2010年8月 神戸大学大学院医学研究科 分子細胞生物学分野 講師
2011年4月 神戸大学大学院医学研究科 分子細胞生物学分野 准教授
現在に至る

注釈
【セルソーター(Cell Sorter)】
目的の細胞を生きたまま高速に分離・回収する(Sortingする)装置のこと。