研究紹介

がん研究 スポットライト

副作用の少ない抗がん剤開発を目指して肺や膵臓の内分泌がんに深く関わるがん抑制遺伝子PHLDA3の機能解明に挑む
残念なことに我々はがんという病を十分には理解できていない。たとえば、正常な細胞がどのようにがん化するのかというシンプルな問いにも十分な答えを持っていないのが実情だ。がん化の機序を解き明かすことで明日の医療に貢献――その純粋な情熱が研究のモチベーションになっている。
国立がん研究センター研究所・難治がん研究分野・研究員 大木 理恵子
もっとも有名ながん抑制遺伝子p53との出合い

なぜがんの研究者になろうと思ったのですか?

父は白血病の研究者、母は大腸菌の研究者で、両親とも生き生きと仕事をしていたので、子どものころから研究職に対して良いイメージを持っていました。ただ、大学に進学したころはマスコミの仕事に憧れていて、研究を仕事にするとは思ってもみませんでした。将来への考え方が変わったのは大学4年生のときのこと。『細胞の分子生物学』という本に出会い、細胞内の現象がすべて論理的に説明できる事に衝撃を受けました。生物という学問に対しては暗記科目のイメージが強かったので、“論理的”であるという事が新鮮だったのです。その本を何度も読み返して、将来は分子生物学の分野に進もうと決めました。大学院では、当時は未開拓の分野であったがん組織で起こる遺伝子変化を見つけるという事をテーマとして研究を行い、それ以来、がんの研究に取り組んでいます。

現在の研究テーマを教えてください。

がん化にもっとも大きな影響を及ぼす因子の一つである、「p53」という遺伝子に注目して研究しています。きっかけは大学院修了後に所属した研究室で、ヒトのがんにおいて非常に重要な役割を果たしているp53遺伝子の研究をしたことでした。その研究室に在籍している間にp53ががんの抑制において重要な役割を果たすことを明らかにできましたので、このテーマをもっと深化させたいと考え、今日も研究を続けています。

p53遺伝子はどのようにしてがんを抑制するのでしょうか?

がん化していない正常な細胞では、p53遺伝子が「Akt」という遺伝子の活性を抑制しています。Aktは細胞の増殖や成長といった生存シグナルを出す、生命維持に欠かせないもの。p53とのバランスさえ取れていれば、細胞は適切に増殖し成長するのですが、何らかの理由でp53の機能が失われた場合、Aktの活性化が抑制されなくなります。そうなると、細胞は異常に増殖し、やがて、がん発症に至ります。つまり、p53はがん抑制遺伝子、Aktはがん遺伝子として存在しているわけです。
意図的にp53を欠損させたマウスを使った実験では、実に75%が6カ月以内にがんを発症しました。ヒトでもほとんどのがんでp53の機能不全が認められており、p53遺伝子の重要性は広く知られるところです。
しかし、実のところ、どのようにしてp53がAktの活性を抑制しているのか、具体的なメカニズムは分かっていませんでした。そこで、私たちはp53と関連のある遺伝子の探索に乗り出し、これまでに235個の遺伝子を同定しました。そして、特にAktの抑制に深くかかわっている遺伝子「PHLDA3」を発見、その機能を解明することに世界で初めて成功したのです。

p53遺伝子は卵巣がんや大腸がん、食道がん、肺がん、乳がんなど、さまざまながんの発症にかかわっている。

p53は393個のアミノ酸が連なった構造をしており、N末端の転写活性調節領域、DNA結合領域、C末端領域の3つのパートに分けられる。このうち、102番目から289番目のアミノ酸の部分がDNA結合領域。ヒトのがんで見つかる変異は、ほとんどがDNA結合領域の中で見つかっており、p53がDNAに結合し、転写活性因子として機能する事ががん抑制に置いて重要である事がわかる。

細胞が成長するか否かはAktとp53のバランスによって決まる。Aktが過多になれば成長が過剰に促されてがん化につながるが、p53が過多になれば細胞死や細胞の増殖抑制が促されて、やはり生命にとってのリスクになる。

プロフィール
大木 理恵子

大木 理恵子(おおき・りえこ)
国立がん研究センター研究所
難治がん研究分野 研究員

1992年早稲田大学教育学部生物学専修卒業
1997年東京大学理学系研究科生物化学専攻博士課程修了(理学博士)

1997年4月〜1999年3月
東京大学医学部医学系研究科免疫学教室 谷口維紹教授のもとで、博士研究員をつとめる。
1999年4月〜2002年5月
東京工業大学生命理工学研究科生命情報専攻 石川冬木教授のもとで、博士研究員をつとめる。
2002年6月〜2011年6月
国立がんセンター研究所・放射線研究部、(田矢洋一部長)、細胞増殖因子研究部(堺隆一部長)、腫瘍生物学分野(荒川博文分野長)にて研究員をつとめる。
2011年7月〜現在
国立がん研究センター研究所・難治がん研究分野(中釜斉分野長)にて、大木グループのリーダーをつとめる。

注釈
【p53】
393個のアミノ酸からなる分子量5万3000のタンパク質。p53はがん抑制遺伝子であると同時に、転写活性化因子でもあり、さまざまながん抑制に機能する遺伝子の転写を促す事により、損傷を受けた細胞の修復や細胞死の誘導にもかかわっている。何らかの理由でp53の機能が失われると、本来修復されるべき細胞や死ぬべき細胞がそのまま増殖を続けてしまい、がん化につながると考えられる。大木研究室ではp53によって直接転写誘導される235個のp53標的遺伝子を同定。それらの遺伝子のがん抑制メカニズムの解明に取り組んでいる。
【Akt】
キナーゼの一種。Aktは細胞膜表面のイノシトールリン脂質と結合して活性化した後、さまざまなたんぱく質をリン酸化して、細胞の成長や増殖といった生存シグナルを発信する。Aktが過剰に活性化すると、がん化を引き起こす。細胞の増殖や成長に必須の遺伝子は、強いがん化能を持つがん遺伝子でもあるのだ。
【キナーゼ】
リン酸化酵素。
【PHLDA3】
127個のアミノ酸からなる小さなタンパク質。分子のほとんどがPHドメインという構造になっている。p53の標的遺伝子。
【PHドメイン】
リン脂質に結合する領域。