研究紹介

がん研究 スポットライト

副作用の少ない抗がん剤開発を目指して肺や膵臓の内分泌がんに深く関わるがん抑制遺伝子PHLDA3の機能解明に挑む
社会貢献度の高い仕事ならではのやりがい

PHLDA3をベースにした抗がん剤はどのようながんに有効ですか?

Aktは多くのがんで異常に活性化しているがん遺伝子なので、Aktを抑制するPHLDA3ベースの抗がん剤は、多くのがんに有効である可能性が高いですが、特にPHLDA3遺伝子の異常が高頻度で見られる肺がんや膵臓がんの一部に著効すると考えられます。
これまでの研究から、肺の「LCNEC(大細胞神経内分泌がん)と「カルチノイド腫瘍ではPHLDA3が高頻度に欠損していることがわかっています。また、LCNECと同じ内分泌腫瘍である「膵内分泌腫瘍」は発症率が膵臓がん全体の約2%前後という珍しいがんですが、当研究所には55個のサンプルがあり、そのすべてに対してLOH解析を行ったところ、なんと63%にLOHが認められました。それだけ高頻度にPHLDA3遺伝子の異常が起きているということです。
膵臓にはランゲルハンス島というインシュリンなどのホルモンを分泌する組織があります。PHLDA3遺伝子を欠損させたマウスを作製して、膵臓の切片を染色して観察したところ、本来ランゲルハンス島は膵臓全体の数%に過ぎないのに、遺伝子欠損マウスでは明らかにランゲルハンス島が肥大化していました。ランゲルハンス島細胞では、インシュリンからのシグナルが伝達されると、AktとPIP3が結合して生存シグナルが発されますが、PHLDA3の機能が失われた場合には、Aktが抑制を受けずに異常に強く活性化して、がん化が進むと考えられます。膵内分泌腫瘍は珍しいがんだけに研究が十分に進んでいません。そのため、患者の診断および治療方法が十分に確立しておらず、最悪の場合、アップル社のスティーブ・ジョブス氏のように命を奪われてしまうことがあります。今回の研究成果が膵内分泌腫瘍の将来の治療や診断方法の確立に役立つと信じています。

膵内分泌がんの55サンプルに対してLOH解析を行った。通常は父方と母方からコピーしたことを示すシグナルが2つのピークを描くのだが、がんのサンプルでは一方のピークが消失しておりLOHが起きている。今回は有効な41サンプルのうち26サンプルについてLOHが認められた。

ランゲルハンス島のベータ細胞では、自身が放出したインシュリンがレセプターに結合して生存シグナルが送られる。ベータ細胞でPHLDA3を欠損した場合は、Aktの抑制がきかないため、生存シグナルが異常に強くなり、がん化のシグナルが発されてしまう。

研究成果を創薬に結びつけるには、かなり時間がかかるのではないでしょうか?

確かに薬の有効性やリスクなどを検討するために長い時間がかかるケースもありますが、抗がん剤の場合は効果が明らかになると比較的早期に実用化される傾向にあります。それだけ有効な抗がん剤に対するニーズが高いということでしょう。PHLDA3をベースにした抗がん剤については基礎研究を終えてから5年以内に臨床で使用できるところまで持っていきたいと思っています。
がん研究は社会貢献度の高いテーマです。学生時代は現在ほど強い使命感はありませんでしたが、年齢を重ねるほどに、研究を通して社会に貢献したいという思いが強くなってきました。p53ががん研究においてもっとも重要なテーマの一つであることは誰もが認めるところでしょうし、この研究は必ず将来の治療や診断につながると確信しています。私の研究室は2011年7月に誕生したばかりですが、メンバーのモチベーションは高いです。社会に貢献できる研究を行いたいという同じ志を持つ方、世界に認められる一流の研究がしたいと考えている若手研究者にぜひ加わっていただきたいと思っています。

膵臓の切片を染色して観察した。上段は正常な細胞の画像で、ランゲルハンス島の大きさは全体の数%に過ぎない。ところが、PHLDA3を失った細胞(下段)の場合はがん化が進行し、ランゲルハンス島が異常に肥大している。

大木 理恵子

TEXT:林愛子 PHOTO:荒井邦夫
取材日:2012年1月11日

注釈
【LOH解析】
染色体は父方と母方から1本ずつコピーして2本でワンセットになっているが、何らかの原因で一方が消失することがある。それを解析すれば、遺伝子の異常が明らかになる。LOH は「loss of heterozygosity」の略で、「ヘテロ接合性の消失」と訳される。
【膵内分泌がん】
膵臓には消化液としての膵液を消化管へ分泌する外分泌機能と、インシュリンなどのホルモンを血中へ分泌する内分泌機能がある。後者の主な舞台はランゲルハンス島という部位であり、ランゲルハンス島が膵臓全体に占める領域は数%〜5%にとどまる。膵内分泌がんは膵臓がん全体の約2%、罹患者は人口10万人あたり1人以下という珍しいタイプのがん。