研究紹介

がん研究 スポットライト

胃がん早期発見への貢献はもちろんのこと胃がん以外のマーカー開発にもつなげたい
胃がんの前がん病変をテーマとする研究者として血清TFF3の起源を探ししつづける毎日は、消化管外科を専門とする臨床医としての毎日でもある。胃がん検診へのハードルをもっと下げられないか?他のがんへのバイオマーカーにならないか?基礎研究と臨床それぞれの立場からTFF3に潜む可能性を追い求める。
東京大学大学院医科学系研究科消化管外科学准教授 医学博士 野村幸世
TFFにバイオマーカーの可能性を見出したのはアメリカでの研究から

この研究テーマを始められたきっかけから教えてください。

私は大学院生のころから、胃がんの前がん病変を研究テーマとしてきました。胃がんのおおもとの原因であるピロリ菌が胃に感染すると、胃粘膜に徐々に組織学的な変化がおこります。その変化の一つである「メタプレージア(metaplasia:化生)」では、TFFというものが発現していることが既報の論文や私が属する研究グループでの発見によってわかっています。そのことが今回の研究の基礎にあります。
このTFFを臨床で応用できないかと考えた先に、早期発見のためのバイオマーカーにしようという発想がうまれました。これは私ひとりによる発想ではありません。アメリカ留学中に所属していた研究室のボスが、主に胃粘膜でのTFF2の発現を研究されていて、やはり胃がんのバイオマーカーにならないかと考えていました。ですから今回の研究テーマも、おおもとは彼との共同研究から始まったものです。

帰国後もその研究テーマを継続されたのですね。

胃がんのバイオマーカーの研究は、日本に比べて胃がんが非常に少ないアメリカでより、日本でやったほうがいいという考えはアメリカのボスにもあったようです。ですから共同研究に発展したのですが、あくまでボスがメインに研究していたのはTFF2。当初はTFF2がいいマーカーになるという仮説のもとで取り組むつもりでしたが、せっかくだからTFFの1、2、3すべてで調べようということになりました。1も3も化生性の粘膜で出ているのはわかっていたので、まったく当てずっぽうだったわけではありません。ただ、当初の予想は外れて、なぜかマーカーとしてはTFF3がいちばんよく、1、2、3のなかではTFF2がいちばん劣るという結果が出てしまいました。いずれにしてもTFF3が現行のペプシノゲン法よりもよさそうだという結論に至ったのが、今回の研究の経緯です。

そもそもTFFとはどんなものですか?

TFFとはtrefoil factor familyの略で、torefoilは「三つ葉」の意、実際に三つ葉型をしたタンパクです(図)。タンパク質のアミノ酸の結合には一次構造のアミド結合(ペプチド結合)などのほかに高次構造のものがあり、その一つにs-s結合があります。TFFはこのs-s結合のために三つ葉型をとり、それゆえに非常に安定した、壊れにくいタンパクなのです。実をいうと、TFFが何をしているのかはよくわかっていません。粘膜から出るムチンという粘液を安定化する作用があるという説もあれば、粘膜のバリアに効いているという説もありますが、学界としてこれが絶対という説はまだないのです。
TFFは3種類あり、TFF1とTFF2はもともと胃の粘膜から出ています。胃の粘膜は腺菅という小さなチューブの集まりで、そのチューブのなかにいろいろな細胞があり、TFF1はそのなかの腺窩上皮(センカジョウヒ)(といわれる腺菅の上のほうにある部分)から出ていますが、萎縮性胃炎がおきると腺窩上皮の部分(細胞)が長くなり、それにあわせてTFF1の分泌量も増えていきます。TFF2は腺頸部粘液細胞(mucus neck cell)から出ています。この細胞自体は、正常な胃の粘膜では胃酸を出す壁(ヘキ)細胞におされたような形をした小さな細胞がちょぼちょぼある程度。ところが萎縮性胃炎を起こした胃の粘膜では、壁細胞がなくなり、その代わりに頸部粘液細胞が拡がりTFF2を大量にたたえた細胞になります。

【TFFの構造】

プロフィール
野村幸世

野村 幸世(のむら・さちよ)
東京大学 大学院医科学系研究科
消化管外科学准教授 医学博士

1989年、東京大学医学部医学科卒業
外科初期研修、後期研修を経て、
1994年、東京大学大学院医学系研究科博士課程入学
国立がんセンター研究所支所がん治療開発部(江角浩安支所長)の下でがん研究を学ぶ。
1998年、大学院修了。医学博士取得。
同年、東京大学医学部附属病院分院外科助手。
2002年、アメリカVanderbilt大学医学部外科(James R. Goldenring教授)にて博士研究員。
2005年、東京大学医学部附属病院 胃食道外科 講師。
2007年、東京大学大学院医学系研究科 消化管外科 准教授。
胃がんの外科医および研究者

注釈
【ピロリ菌】
正式名はヘリコバクター・ピロリ(Helicobacter pylori)。ヘリコプターの羽根に似た螺旋状鞭毛をもつことと最初にこの菌が発見された場所(胃幽門部:pylorus)の複数形にちなんで命名。ピロリ菌発見に貢献したオーストラリアのウォレン博士(J.R.Warren)とマーシャル博士(B.J.Marshall)は2005年にノーベル生理学医学賞を授賞。
【タンパクのs-s結合】
ジスルフィド結合ともいう。システィン残基が硫黄(S)によって架橋される結合で、三次構造をとる。アミノ酸配列が一次結合のような直線的なものでなく、立体的な結合の一つ。