研究紹介

がん研究 スポットライト

染色体工学技術を駆使して発がん機構を解明する
染色体工学を活用したがん研究の過程でテロメラーゼ活性抑制遺伝子の同定に成功。最先端の染色体工学技術を用いて発がん機構の解明やがん治療薬の発見、そして 再生医療の発展にも寄与していきたい。
鳥取大学大学院医学系研究科/鳥取大学染色体工学研究センター 准教授 久郷裕之
染色体に魅せられて選んだ研究者の道

PITX1にテロメラーゼ活性抑制があることを世界でいち早く発表されました

「テロメア」と呼ばれる染色体末端の領域は、正常な細胞であれば分裂するたびに短縮されていき、やがて分裂停止に至ります。これが細胞の「老化」ということですが、がん細胞ではテロメアを伸長するテロメラーゼという酵素が高発現するため、細胞は無限に分裂していきます。このことから、正常細胞の中にはテロメラーゼ活性を抑制する内在性因子があることが以前から予測されていたものの、その同定は従来法では長年のあいだ困難とされていました。

私たちの研究グループは最先端の染色体工学技術を用いて、ヒト5番染色体にあるPITX1こそその因子であることを明らかにし、2011年に米科学誌「MOL.Cell.Biol」電子版で発表しました。染色体工学のアプローチによってめざす遺伝子を同定できたことで、染色体を利用した研究の有用性がアピールできたと思っています。

もともとPITX1はどんな遺伝子として知られていたのですか?

PITX1がホメオドメインを有する転写因子として「発生」に非常に大事な遺伝子であることは以前から知られていました。主に、脳下垂体で高く発現しています。PITX1のノックアウト・マウスでは、主に後ろ足の異常(短縮)や顎の異常(小さくなる)、口唇の異常(口蓋裂)、脊柱側彎曲など骨や関節の形成に異常をきたします。また、プロオピオメラノコルチン(POMC)のプロモーターに結合することもわかっています。副腎皮質やメラニン細胞刺激、ホルモンの前駆体ペプチドになる元のところのプロモーターに結合して制御します。その他、がん以外のいくつかの疾患にも関わることが報告されていますが、テロメラーゼのレギュレート(調節)に関与していることは、私たちの報告が最初でした。

テロメラーゼ活性の抑制因子を見つけようとしたきっかけは?

研究者の道を志した当初から、私はがんの研究がしたいと思っていましたが、その1つのキーワードが「染色体工学」でした。染色体工学とは、染色体を使ってさまざまな生命現象を解明したり、診断・治療への応用をめざした研究です。顕微鏡下でヒトの染色体を初めて見たとき、まるで宇宙世界にも思えたほど自然がもたらす形の美しさにすっかり魅了され、就職が決まっていた大学卒業間際に染色体研究の道に方向転換したほどです。

がん研究を始めた当時は、がん抑制遺伝子がどのような形でがん化に関わっているのかを知りたくて、染色体工学のアプローチで研究を進めました。やがて、細胞老化にも興味をもつようになりました。細胞老化の機構は、細胞のがん化と背中あわせ、表裏一体の関係です。細胞老化に関する学説はいろいろありますが、注目したのが ‘テロメアの短縮’ 説でした。

細胞老化の原因には正常細胞の複製によるものとストレスがあります。発がん性もいわばストレスの1つですが、がん遺伝子が活性化してもすべてがんになるわけではありません。あるがん遺伝子が急に増えて増殖シグナルを出すと、正常な細胞はそのシグナルを感知して、がん遺伝子を含んだ細胞が増殖しないよう細胞老化によって防御するシステムができています。ところが、微弱な活性が慢性的に続くと、細胞はその活性を認識しそびれ、防御システムをすり抜けた細胞ががん化します。また、がん細胞ではテロメラーゼという酵素が出ていて、それがテロメアの長さを一定に保つことが明らかになってきたのです。

【ヒト正常細胞の中期分裂像】

【テロメアの動態】
プロフィール
久郷裕之

久郷 裕之(くごう・ひろゆき)
鳥取大学大学院医学系研究科 機能再生科学専攻生体機能医工学講座 遺伝子機能工学部門 准教授

1986年3月 北里大学衛生学部産業衛生学科 卒業
1986年8月 神奈川県立がんセンター 臨床研究所にて単一ヒト染色体ライブラリーの作製に従事
1990年4月 鳥取大学医学部生命科学科細胞工学 助手 染色体導入研究より、種々のがん抑制遺伝子の染色体マッピングに成功
1999年9月 M.D. Andersonがんセンターにて博士研究員 腎細胞がんの発がん機構に関する研究に従事
2001年10月 鳥取大学医学部生命科学科細胞工学 助手
2003年4月 鳥取大学大学院医学系研究科 機能再生医科学専攻 生体機能医工学講座 遺伝子機能工学講座 准教授
鳥取大学医学部生命科学科細胞工学(兼担)
2009年4月 鳥取大学染色体工学研究センター生命現象研究部門(兼担)准教授
21世紀COEプログラム「染色体改変技術の拠点形成」(2004~2008) にて事業推進実務担当者として参加。
さらに染色体工学を利用したテロメア不安定化機構の解明及び機能性RNAの機能解析の研究について従事 現在に至る。
日本人類遺伝学会臨床細胞遺伝学認定士
日本人類遺伝学会臨床細胞遺伝学認定士制度の指導士
生命科学博士

注釈
【テロメア】
telomereは「テロメア領域」とも呼ぶ。テロメア領域はTTAGGGの6塩基配列の繰り返し(リピート)で、その最先端は一本鎖でループ構造をとる。このループの安定性が老化に影響するとされている
【テロメラーゼ】
原語telomeraseの「テロメラーゼ」はドイツ語読み、英語読みでは「テロメレース」
【PITX1】
pituitary homeobox 1の略で「ピットエックスワン」と呼ぶ。ホメオドメインを有する転写因子で、脳下垂体で強く発現しヒト5番染色体に存在する
【MOL.Cell.Biol】
Molecular and Cellular Biology(MCB):アメリカで発行される分子細胞学専門の科学誌
【ホメオドメイン】
homeodomainとは、DNAの特定の配列に結合する領域(ドメイン)の1つで、60個のアミノ酸配列からなり、遺伝子発現調節に関わる。
【POMC】
Pro-opiomelanocortinの略。女性ホルモンの1つであるイソフラボンと似た働きをする糖タンパクで、その発現が更年期障害や乳がんに影響するという報告もある
【細胞老化に関する学説】
プログラム説(寿命はもともと決まっているという説)、エラー説(遺伝子の変異が蓄積して細胞老化が誘導される)、免疫の減少、代謝の調節器官の影響によるという説などがある