研究紹介

がん研究 スポットライト

染色体工学技術を駆使して発がん機構を解明する
今後も染色体工学技術の有用性を発信し続けたい

PITX1の同定がもたらす次の展開について教えてください

いくつか方向性がありますが、1つはPITX1に関連する分子群を同定することです。というのも、細胞老化を誘導したテロラーゼの活性をみた結果、メラノーマ以外のがん細胞では、これまでの染色体導入研究により3番および10番染色体上でテロメラーゼ抑制がみられました。つまり、3番と10番でテロメラーゼを抑制する因子についてはいまだ解明できていないのです。
1つの仮説として、遺伝子は単独で動くよりもコンプレックス(複合体)をつくって機能しているパターンが多いので、3番、5番、10番で複合体を形成する遺伝子群があり、それがメラノーマの細胞では3番と10番上にある抑制遺伝子は正常に機能し、腎細胞がんでは3番染色体上にある遺伝子がおかしくなる、といったことが考えられます。PITX1の同定を糸口に、3番及び10番染色体上に存在する遺伝子が発掘できれば、まだ薄明かりの中にいるようなテロメラーゼの制御機構全体が解明できるのではないか。それをヒントに細胞老化の機構、さらには発がん機構の解明やがんの治療薬の開発に寄与したいと考えています。
加えて、今年のノーベル医学生理学賞を受賞されました京都大学の山中伸弥教授が開発されましたiPS細胞(人工多能性幹細胞)を含めた幹細胞では、テロメラーゼが活性化されています。今後、これらの細胞を再生医療へ応用する際には、細胞移植後のがん化問題を含め細胞の安全性を把握した品質管理の確立に向けての研究開発が、最重要課題としてあげられています。したがって、テロメラーゼ制御ネットワークの解明は、こうした幹細胞の未分化維持機構の理解に直接繋がる研究であるとともに、幹細胞をコントロールするための今後最も必要性が求められる技術開発の実現化の促進につながるものと考えられます。

【染色体移入による細胞老化誘導とテロメラーゼ活性】

染色体工学は遺伝子工学のアプローチとどう違うのでしょうか?

「こんな大きな染色体細胞に入れて機能解析するなんてあまりにも大雑把だ」という批判を受けることもありますが、そもそもcDNAやプラスミドを入れること自体も自然の生体内ではあり得ない環境です。そんな裸のDNAがあるわけはなく、DNAにはヒストンが巻きつき、いろいろなプロモーターやエンハンサーその他があるわけですから、より自然に近い状態のなかで機能解析ができるところに、染色体を使うことの意義があるはずです。ましてやエピジェネティクスの発想がこれほど重視されるようになったいま、染色体を使った解析技術は真実を見るのにより近いアプローチだと思います。
だからといって、これまで遺伝工学で同定された遺伝子を否定するつもりなどありません。染色体工学だけでは不十分なところがあり、遺伝子単体での詳細な機能解析も必要です。いきなり葉っぱだけを見るのではなく、やはり森を見て、木を見て、そのなかの枝葉を見て、そしてまた森、木に戻って全体を見てこそ、真実に近づける。その意味でも、染色体工学の技術はこれからも活かされると信じています。

染色体工学技術の可能性がさらに拡がりそうですね

ある染色体上のどの遺伝子が老化の操作をしているかがわかれば、がん化あるいは細胞老化のメカニズムの解明に近づけるはずだと考え、ずっと研究を続けてきました。染色体工学技術の利用は、染色体を用いた最も生理学的に近い条件下での機能解析により、がん抑制遺伝子を含め劣性遺伝病などの疾患原因遺伝子を見つけることが可能な非常に有用なアプローチだと思います。PITX1を同定できたアプローチを応用すれば、新規のがん抑制遺伝子の発見にもつながると考えています。
とはいえ、1本の染色体を導入する系は簡単にできるようになっても、大きな染色体になると責任遺伝子にたどりつくまではかなり大変です。ここでは技術的な話は割愛しますが、最先端の染色体技術によって、任意に染色体を導入したり、染色体を改変したり、人工染色体をつくってベクターとして利用することもできるのです。
現在では、鳥取大学学内措置として設立された染色体工学研究センター(押村光雄センター長)が、鳥取大学の特色ある研究として位置づけられ、世界に向けてこの技術の発展と応用、人材の育成などについて発信されています。

【人工染色体の作成方法】

【人工染色体の利点】

PITX1同定の発表によって以前と状況は変わったものの、研究費の問題は他の地方国立大学同様大変です。それでもここ鳥取大学医学部生命科学科は、23年前に発足以降、医学の基礎知識を習得したバイオサイエンティスト(生命科学研究者)を育ててきました。ここで学んだ学生の多くが、修士や博士課程に進み、大学の教官あるいは企業の研究職に就いたりと専門を活かして活躍しています。私自身、研究者である一方、学部および大学院で学生を指導する立場なので、若い人たちと研究を続けていく楽しさは大学にいればこそと実感しています。これからも染色体工学の拠点から、最先端の技術の有用性をさまざまなかたちで発信していきたいですね。


久郷 裕之


TEXT:冨田ひろみ PHOTO:荒井邦夫
取材日:2012年8月29日

注釈
【エピジェネティクス】
クロマチンのさまざまな後成的な修飾による遺伝子の発現制御
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