研究紹介

がん研究 スポットライト

中皮腫の早期診断から治療戦略まで国際貢献できるモデルをつくりたい
アスベスト曝露による中皮腫が耳目をひくなり、いち早く専門外来を設置して早期診断・治療に取り組んできた。独自に開発したマーカーで高リスクグループをフォローアップし、中皮腫の早期診断から治療までのモデルづくりに力を注ぐのは、環境発がんの研究こそが日本にできる国際貢献という確信があるからだ。
順天堂大学 医学部 病理・腫瘍学講座 教授 樋野 興夫
血液マーカーの開発が「アスベスト・中皮腫外来」開設をあと押し

日本初の「アスベスト・中皮腫外来」を開設した経緯を教えてください。

開設は2005年8月です。それ以前から私は中皮腫の血液診断マーカーを開発していました。もともと遺伝性のがんを研究してきて、ラットによる遺伝性の腎がんの進行過程で高発現する遺伝子「Erc」を95年に発見しました。この遺伝子はラットでもマウスでもヒトでも正常時には中皮細胞に出るため、それなら中皮腫にも出るのではないかと思い、この遺伝子をもとにマーカーを開発したのです。といっても、当時は中皮腫への関心が低く、私もそのままにしていました。10年後の2005年6月にクボタショックがおこり、にわかにアスベスト中皮腫への関心が高まった。それで2ヵ月後にはアスベスト・中皮腫外来を開設したのです。すでに血液マーカーがあったことが開設に大きく影響していますね。

「アスベスト・中皮腫外来」の特徴を教えてください。

外来は週1回で、開設以来のべ3944人が受診されています(2011年12月現在)。中皮腫は難病の一つで、呼吸困難や息切れなどの自覚症状が出たり、画像で胸膜の肥厚{ひこう}が認められたときにはすでに進行していることが多く、予後もあまりよくありません。薬も開発されてはいますが、なんといっても早期発見がいちばん大事で、早期なら手術での完治が期待できます。我々が開発した血液検査でフォローできれば患者さんの負担も軽くなりますし、再発の徴候もすぐにつかめます。2007年2月からは大規模研究型検診(大型検診)も開始しました。土建関係企業の従業員を検診します。現在までに受検者はのべ約12万人。外来と大型検診の二本柱で、中皮腫の早期発見に貢献してきたという自負がありますね。

中皮腫の原因はアスベストであることが明確なのですね?

ラットは自然発生的に中皮腫になることがありますが、ヒトは病理学的に中皮腫と診断されたら「アスベストに由来する」と決まっています。中皮腫は、建築解体現場などで短時間に大量曝露してなる場合と、周辺に住んでいたなど少量の曝露でもなり得る。それを明らかにしたのがクボタショックでした。その意味で中皮腫は、職業がんでもあり、環境発がんでもあるのです。環境発がんがやっかいなのは、たとえばアスベストに曝露してから中皮腫発症までに30年、40年とかかり、曝露した時期の特定が難しいところにあります。しかも中皮腫は原因が明確でも、発がんのメカニズムは未解明なまま。なぜがんになるのか、細胞レベルで解明できていないし、なぜこんなに潜伏期間が長いのか、アスベストが直接の原因なのか、間接的に影響を与えているだけなのかも実はわかっていません。中皮腫はそれほど稀な病気なんですよ。
治療としては、先ほど説明したように手術が第一ですが、抗がん剤としてはアリムタなどもありますが、目をみはるような効果はでていません。CD26という抗体治療の臨床治験も始まっていますが、我々も血中に出るタンパクが中皮腫細胞の増殖に関係することをつかみ、それをターゲットとした分子標的治療薬の開発を行なっているところです。つまり「診断から治療戦略」まで手がけているのですが、いかんせん研究費が圧倒的に足りないことはこの場で強く訴えておきたいですね。

プロフィール
樋野 興夫

樋野 興夫(ひの・おきお)
順天堂大学 医学部
病理・腫瘍学講座 教授

1954年、島根県生まれ。
順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、順天堂大学大学院医学研究科環境と人間専攻分子病理病態学教授、医学博士。
米国アインシュタイン医学大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、癌研究所実験病理部長を経て、現職。
順天堂大学医学部附属順天堂医院にわが国で初めて2005年に「アスベスト・中皮腫外来」を開設、現在もアスベストに曝露経験のある患者の診療を進める一方、2007年より建築作業員等の研究型検診を推進している。
2008年に「がん哲学外来」を開設。

注釈
【中皮腫】
中皮腫はアスベストを肺内に吸引することで胸膜や腹膜にできる悪性腫瘍の一つ。曝露から発症までの潜伏期間が35年前後と長く、発症のメカニズムは解明されていない。
【クボタショック】
2005年6月29日、大手機械メーカー「クボタ」が同社旧工場の従業員にアスベスト関連がん患者がいることや工場周辺で中皮腫になった住民に見舞金を出したと発表。これを契機にアスベスト関連企業による中皮腫、肺がん患者が多数報告され、アスベストの危険性がいっきに認知された。
【アスベスト】
石綿。微量の曝露でも中皮腫や肺がんをおこす発がん物質だが、耐熱性、電気絶縁性に優れていたため、日本では1970年代をピークに年間30万トン前後が輸入され建材資材や各種部品などに用いられてきた。国内で使用禁止措置(労働安全衛生法)がとられたのは2004年のこと。
【職業がん】
特定の職業従事者がかかるがんのこと。18世紀、ロンドンの煙突掃除人に多かった陰嚢がんは煤が原因とされたため「煤がん」と呼ばれた。これが世界で最初に研究対象となった職業がんとされている。
【環境発がん】
環境中にある発がん物質などにより発症するがんのこと。環境中にあるアスベストと中皮腫や肺がん、放射線汚染と甲状腺がんや白血病、ディーゼル排気微粒子(DEP)と肺がん、特定地域での日光(紫外線)と皮膚がんなどは環境発がんととらえられる。
【アムリタ】
一般名ベメトレキセドナトリウム水和物。葉酸代謝拮抗剤と呼ばれる抗がん剤の一つ。
【CD26】
ヒト化CD26抗体のこと。臨床試験が2011年から開始された。