研究紹介

がん研究 スポットライト

中皮腫の早期診断から治療戦略まで国際貢献できるモデルをつくりたい
アスベスト・中皮腫外来の経験が「がん哲学外来」につながる

環境発がん対策が国際貢献につながるわけですね。

日本が世界にリードできるのは環境発がんの研究ですよ。山極勝三郎にしろ吉田富三にしろ、みな環境発がんの研究者、日本は発がんの創始国なのです。20世紀は「がんをつくる時代」でしたが、21世紀の日本はがんを遅らす研究で世界をリードすべきです。
日本でアスベスト規制がアメリカよりも遅れたのは、時代が経済最優先だったという事情もあるでしょうが、科学者の責任もないとはいえません。アスベストが有害だと昔から言われていたのに、人体にさほど影響はないと思っていたのですから。これを私は「先楽後憂{せんらくこうゆう}」と言っています。最初は夢の物質ともてはやし、あとから憂いがやってきた。そうではなく、科学者は「先憂後楽」であるべきです。東日本大震災での放射線汚染にしろ、先に大げさに警告してあとで「よかったね」でいいんですよ。「先憂後楽」こそ発がん研究者の社会貢献でしょう。いまやアスベスト使用が規制されたといえ、カーボンナノチューブのような「ナノマテリアル」が今後30年先に人体にどう影響するかは、厳しく見ていく必要があると思っています。

先生は最初から発がん研究をやろうと思われたのですか?

もともとは癌研(癌研究所)の病理部で、菅野晴夫先生や北川知行先生とともに発がん研究をしていました。菅野先生は吉田富三のお弟子さんで、癌研で吉田富三生誕百年記念事業を行なうにあたって、私も吉田富三の著書から多くを学びました。吉田富三は当時のがん哲学者ですよ。のちに私が「がん哲学外来」を始めたのも、吉田先生から多大な影響を受けたことによりますね。
吉田富三は1930年代、ドイツ留学中に中皮腫の剖検{ぼうけん}(病理解剖)報告を発表しています。中皮腫はその当時からすでにあったわけで、いま自分がこうして中皮腫外来をしているのは縁を感じます。福島県立医大に「吉田富三記念福島がん哲学外来」がありまして、私も定期的に通っています。吉田富三が生きていたら何を発言するか、何をやるだろうかを思いながら、自分もやっているわけです。

その「がん哲学外来」についてご紹介ください。

アスベスト中皮腫外来で患者さんと直接接したことがきっかけです。なかなか治らない中皮腫の患者さんにとって、次に必要なものは何かと考えたら「がん哲学外来」の発想が生まれました。でも、そんな名称は当時だれも本気にしてくれません。2007年にがん対策基本法ができ、各地の病院でがん相談室が設けられましたが、反応はいまひとつなようです。ところが2008年に我々が「がん哲学外来」を始めたら予約でいっぱいになった。いまのがん医療のスキマのような存在がやっぱり必要だったのだと痛感しました。
私のがんに対する考え方は「天寿がん」です。つまり、天寿を全うしてがんで死ぬ、がんも慢性病だと考えています。それが「がん哲学外来」の根底にあるのです。医療従事者の知識・技術と患者さんの経験は人間的に対等なはず。ですから上から目線ではなく、患者さんと対等の目線でのぞむことが「がん哲学外来」ではたいせつで、どのがん患者かは問わず、ここで交わされる会話の中身も、がんの情報から人生相談までなんでもアリです。「がん哲学外来」があるのは東京近辺の病院や大学など10カ所ほど。私だけではとてもできませんが、幸いにも多くの賛同者がいますので、これからも新たな視点で医療のスキマを埋めていきたいと思っています。

TEXT:冨田ひろみ PHOTO:荒井邦夫
取材日:2011年12月15日

注釈
【山極勝三郎(やまぎわ・かつさぶろう)】
1863〜1930。病理学者。日本病理学会初代会長。1915年、東京帝国大学病理学教室にて市川厚一博士とともにウサギの耳にコールタールを塗りつづけ、人工的にがんをつくることに世界で初めて成功。がん刺激説を証明した発がん研究の先駆者。

【吉田富三(よしだ・とみぞう)】 1903〜1973。第二次世界大戦後、日本病理学の復興に貢献した病理学者。
【がん対策基本法】
2007年4月施行。もはや国民の2人に1人がなるがん対策のため、国や地方公共団体等の責務を明確にした法律。がんの予防・早期発見の推進や医療技術の地域格差解消をめざし、さまざまな目標が掲げられた。