研究紹介

がん研究 スポットライト

がん細胞における細胞外基質の硬さと浸潤能との関係を追究していく
がんで亡くなる方の9割近くは転移によるとされるなか、物理学の視点から細胞の動きを研究し続けてきた芳賀教授は、がん細胞の動きとストレスを受けて悪性化する現象に注目し、そのメカニズムや原因を追究しつづけている。がん細胞の浸潤・転移していく動きが解明できれば 新たながん治療につながるはずとの期待をもって。
北海道大学大学院先端生命科学研究院 教授 芳賀 永
細胞の「動き」に注目した研究は続く

細胞が動くという現象にずっと注目されてきたそうですね。

細胞が「動く」という現象に着目するようになったのは1997年末頃からです。今でこそがん細胞の研究を行い、所属先にも「生命科学」という文字が入っていますが、もともと大学は物理学科を出ていますし博士号も物理学で取っていまして、どうしても物理学の視点でものを考える姿勢が身についているんですね。

すべての細胞は、赤血球など一部の例外を除けば、シャーレに蒔くと勝手に動きだします。あるいは、細胞のシートになんらかの傷を加えると、傷口の近くの細胞たちはそれを認識して動きだし、みるみるうちに傷を修復していきます。私たちの体は白血球をはじめとした免疫細胞が動きまわってくれるからこそ健康でいられるわけで、その一方で、免疫細胞を除けば生体内の細胞はほとんど動きません。細胞が“成人”したというか、それぞれの持ち場が決まっていて、例えば小指の細胞が勝手にどこかに動いてしまっては小指の形は維持できません。ところが、生体内で勝手気ままに動きまわる困った細胞がありまして、それが、がん細胞というわけです。


細胞の動きについてもう少し詳しく教えてください。

細胞が「動く」ためには、どこかに「接着」する必要があります。細胞運動のモデルにあるように、細胞は基質に接着して新たな足場を確保し、シャクトリ虫のように伸び縮みしながら移動します。細胞が動くのも1つの物理現象です。このときにどんな力を出しながら動いているのか、私は物理の視点から興味をもって、やがて生物の世界に移って研究を続けてきました。

細胞が動く仕組みを分子レベルでみると、細胞の中の筋繊維(ファイバー)にアクチンとミオシンという2つのタンパク質が互い違いに入り組み、伸び縮みすることで全体として力が出ていることがわかります。さらにミクロレベルでみれば、ミオシンの先端がアクチンの繊維と結合して、これが順番にアクチンの上にぐいと接着して動かしています。

【細胞運動のモデル】

【細胞運動を司るストレスファイバー】

細胞運動のモデル

細胞は基質に接着して新たな足場(画像では赤い箇所)を確保してから動く

細胞運動を司るストレスファイバー

GFPタンパクを使ってミオシンを蛍光させ、細胞内で動く様子をとらえた。ミオシンが前方に集まることで、細胞は1歩1歩前進するかのように動く

細胞1個の「動き」に注目する一方で、細胞の集団運動についても研究してきました。生き物が出来上がる過程に非常に興味があるからです。生体の細胞は1つでも動きがあるうえに、細胞が集まったときに何かしらの協調性が生まれて、最終的には生き物の形ができていく。臓器や器官などがすべてそうですよね。なぜそうなるかの理由はわからずとも、そうした現象が起こることはわかっています。

では、そうした現象を実験室の中で再現しようとして、生き物から細胞をとってシャーレで培養しても、同じ現象をみることは難しい。それは物理的環境の違いにあると着想して、できるだけ生体と同じような環境を実現しようとしました。そこで使ったのがコラーゲンゲルです。コラーゲンゲルにイヌの腎臓の細胞を蒔いて顕微鏡のステージに置き、その周囲を37℃に維持すると細胞が協調性をもって動きます。この現象は2005年に見つけてすぐ論文発表したものの、それがなぜ起こるかについてその後ずっと研究を続けることになったのです。

【ガラス基盤上の細胞運動】

【細胞外環境の物理的性質】

ガラス基盤上の細胞運動

ガラス基盤上では、イヌの腎臓の細胞は協調性がなくそれぞれが好き勝手に動いている

生体内と培養系では基質の硬さにかなりの差がある

これまでにどういうことがわかってきているのですか?

1つの手がかりは先頭にいる細胞です。他の細胞と比べて極端に大きく「リーダー細胞」と名づけました。もともと同じ細胞なのに自分たちの中からリーダーを選び、そのリーダーが集団を先導する様子がイヌの細胞からみてとれます。

このリーダー細胞が何なのかを調べたら、接着に関与するタンパク質の1つ、インテグリンβ1(Integrin-β1)が高発現していました。ただ発現しているだけではなく、活性化して協調性をとるという「仕事」をしていたのです。さらに、リーダー細胞がひだひだを出しながら移動することに注目し、Rac1というタンパク質が活性化して他の細胞を先導する役割をもつことがわかりました。リーダー細胞を動かすのに関与する重要なタンパクが、いま少しずつ解明できているところです(N. Yamaguchi, et al., Scientific Reports, 2015)

【ゲル上の集団運動】

【マイクロマニュピュレーターで刺し殺す】

ゲル上の集団運動
マイクロマニュピュレーターで刺し殺す

リーダー細胞だけを刺し殺すと、残る細胞たちはランダムな動きをする

【リーダー細胞におけるIntegrin-β1の発現亢進】

細胞の骨格(アクチン)を緑、Integrin-β1を赤に染めると、リーダー細胞ではIntegrin-β1が強く発現していることがわかる

【Integrin-β1の活性阻害実験】

【Rac1の活性阻害実験】

Integrin-β1の活性阻害実験

Integrin-β1をAUB2という抗体で阻害すると、細胞の動き自体は止まらないものの協調性に欠けた動きを示す

Rac1の活性阻害実験

Z62954982という阻害剤を投与すると細胞の動きが止まり、洗い流すと再び動き出す

【リーダー細胞に特異的なシグナル経路】

リーダー細胞の先頭の膜からIntegrin-β1が外部と接着する図。リーダー細胞にだけ特別にあるタンパク質が少しずつ解明されてきた

プロフィール

芳賀 永(はが ひさし)
北海道大学 大学院先端生命科学研究院 教授

1989年 北海道大学理学部 卒業
1992年 北海道大学大学院理学研究科修士課程 修了
1995年 北海道大学大学院理学研究科博士後期課程 修了
1995年 マサチューセッツ工科大学(米国) 博士研究員
1997年 北海道大学大学院理学研究科 助手
2002年 同 助教授
2010年 北海道大学大学院先端生命科学研究院 准教授
2013年 同 教授