研究紹介

がん研究 スポットライト

がん細胞における細胞外基質の硬さと浸潤能との関係を追究していく
浸潤能を高める遺伝子の特定を目指して

メカニカルストレスと、がん細胞の悪性化との関係についても研究されていますね?

細胞を培養する際に、なるべく生体と同じ環境にすることにこだわって研究してきた以上、そもそもなぜ硬い基盤がダメで、軟らかい基盤がよいのかを解明するための研究も続けてきました。「細胞は接着するときに硬さを気にするのではないか」という仮説を立てて実験をしたところ、硬い基盤の上にある細胞ほど炎症性反応が強いことがわかりました。基質の硬さによる刺激のことを私たちは「メカニカルストレス」と呼んでいますが、細胞は硬いシャーレの中にいるだけで実はすでに病的な状態にあるに等しく、生体内に近い環境で培養しなければ細胞の本当の姿は見えてこない、というのが研究にとりくむ私のスタンスになっています。

【基質の硬さが誘引する炎症性反応(メカニカルストレス)】

S. Ishihara et al., ECR, 2013

炎症反応に関与する転写因子NF-κBの転写活性能。
右下のグラフで、硬い基質のほうがNF-κBの活性が高いことを示している

生体内でも「硬い」状態があると、がん細胞が悪性化するということですか?

そういう考え方ができるかもしれません。私たちは、メカニカルストレスが細胞の炎症性をもたらすとすれば、そこにATF5が関与しているのではないかという仮説をたてて、目下研究を進めています。

大腸がん細胞を硬さの異なる基盤上で培養すると、細胞の形や大きさ・動きに明らかな差が現われます。その際に最も発現していたのがMMP-7という基質分解酵素でした。MMP-7が細胞の足場を溶かして周囲への拡がり(侵入)を促していると考えられます。さらに調べてみると、接着している基質の硬さによってMMP-7の発現量に大きな差が出ました。基質が硬いほど細胞がそれを溶かしたがる、ということがいえるのです。

大腸がん細胞でもIntegrin-β1(およびIntegrin-α2)が重要で、これが硬い基盤に接触するとアクチンとミオシンの活性が高まります。するとYAP(ヤップ)という転写因子が核の中に入りこんで転写を開始します。YAPが転写するタンパク質の1つにMMP-7があって、このMMP-7が増殖能に関与することがわかりました。このことはOncogenesis誌の2015年8月号に発表しています。
もちろん、転写にはものすごい数のタンパク質が関与・制御しています。今後の期待として、ATF5の働きとつながればうれしいですが、ATF5でポジティブな結果が得られなければ、YAP/TAZなどの他の転写因子もターゲットにするつもりです。

【硬さの異なる基質上での大腸がん細胞(T84 cells)】
【基質分解酵素MMP-7の発現】

A. Nukuda, et al., Oncogenesis, 2015

【Graphical abstract】

Oncogenesis発表の際に掲載したイメージ図

浸潤能を止めることが新たながん治療につながる、というアイディアですね?

ある外科医から、がん細胞がその場に留まり増えるだけならそれを切除さえすれば済むが、目にみえないがん細胞がどう動いていくかがわからないからがんの治療はやっかいだ、という話を聞いたことがあります。
がん細胞は時間の経過とともに組織内のコラーゲンなどを溶かして移動していきます。これが浸潤の始まりで、やがて浸潤したがん細胞は血液やリンパ液にのって体内を駆けめぐり、別の場所で増殖を始めます。これが転移ですね。がんで亡くなる方のうち8〜9割は転移が原因とされていますから、「がん細胞が動く」ことを止められれば、かなりの数のがん患者さんを救えるかもしれない。がん細胞がどういう条件で動き出すのか、それがわかれば薬の開発や治療法につながるのではないか、という思いが私の研究を支えているのです。

【がん細胞の浸潤と転移】

がん細胞の浸潤と転移

コラーゲンゲルのなかに埋めたマウスのがん細胞の塊。時間の経過とともに最初は細胞が増えるだけだが、しだいに手足のようなものを伸ばし周囲のコラーゲンに入っていこうとする。これがもし血管内へ浸潤すれば転移へとつながる。


芳賀 永


TEXT:冨田ひろみ PHOTO:岩上 紗亜耶
取材日:2015年9月3日

注釈
【MMP-7】
20数種あるうちの7番目
【Oncogenesis誌の2015年8月号】
Stiff substrates increase YAP-signaling-mediated matrix metalloproteinase-7 expression