研究紹介

がん研究 スポットライト

がん細胞における細胞外基質の硬さと浸潤能との関係を追究していく
がん細胞の本来の動きを実験室で再現する

細胞の動きの研究ががんの研究にどう関与するのですか?

細胞の動きを研究している私のもとに、名古屋大学の榎本篤先生からご連絡がありました。病理学がご専門で、長年多くの患者さんの固形がんのがん細胞をみてこられた榎本先生は、がん細胞も集団で動くことに気づかれ、それを実験室の中で再現できないかということでした。生体内でのがん細胞の動きをシャーレの中で再現できれば、それを阻害するタンパクを同定できるという発想の下、共同研究を進めています。

例えば、食道がんの細胞は固形がんのなかでも非常によく動くことで知られています。この細胞の動きを実験室で再現しようとガラス基盤上にがん細胞を蒔いても、がん細胞は接着しながらもぞもぞ動くものの協調性のある動きはみせません。そこで、生体に近い環境にするために軟らかいゲルの中にがん細胞を埋めると、協調しあいながら集団で運動する細胞が観察できました。現在は、どうしてそうなるのかと、どうすればその動きを止められるのかについて研究中です。

まだ論文として発表前の段階ですが、本来は基質との接着に関与するタンパク質が、実はがん細胞間の協調性に関与しているという仮説をたてて実験を行っています。正常な細胞で観察された集団運動とがん細胞の集団浸潤を比較しながら、さらなる研究を続けているところです。

食道がん細胞(A431細胞)ガラス基盤上

食道がん細胞(A431細胞)ガラス基盤上

食道がん細胞(A431細胞)コラーゲンゲル中

食道がん細胞(A431細胞)コラーゲンゲル中


放射線専門医との共同研究も行われているそうですね?

北大附属病院の放射線専門医から「放射線照射後のがん細胞はほとんど死滅するが、稀に生き残る細胞がある、その細胞はしばらくすると急に増えて転移を始める。それがなぜなのか調べたい」という相談を受けて、共同研究をすることになりました。放射線照射後に生残した細胞が悪性化するメカニズムが明らかになれば、がん治療に貢献できるのではないかと考えています。

まず最初に、この現象を実験室で再現することから始めました。放射線で生き残りやすい細胞がたまたま残ったためにこの現象が起きたという指摘を排除するため、ヒトの胚がん細胞株(A549細胞)から1個をとりだしてそのクローン株を作りました(この細胞株をP-3株とします)。P-3株を北大病院の放射線治療室に持ち込んで施術台に置き、10Gyという放射線量を照射しました。するとほとんどの細胞は死滅しましたが、わずかに生残した細胞がありました。生きてはいますが増えません。ところが、根気強く培養液を取り替えて観察し続けたところ、30日過ぎくらいから突然増えだしたのです。その細胞株をP-3IR株と名づけました。これで現象を再現するための準備は整いました。

【放射線照射に生残した細胞株】

P-3株とP-3IR株という2つの細胞株、それぞれの動きがどう違うのかを観察しました。生体内と同じ環境を実現するために「コラーゲンゲル重層法」という方法をとりました。結果として、放射線照射後に生き残った細胞はコラーゲンゲルの中ですごく動きまわり、形も変化させていきました。生体内と同様に悪性化した姿を再現できたのです。

【コラーゲンゲル重層法】

この方法は細胞を同じ高さに揃えられるため顕微鏡下で観察しやすい


そうした現象が起きる原因を調べるため、やはりIntegrin-β1に注目して検証実験を行い、生残細胞がIntegrin-β1によって「動く」能力を得ていることが示せました。ではなぜIntegrin-β1なのか?
マイクロアレイを使い、何万という遺伝子を調べた結果、転写調節因子のATF5が放射線生残細胞で高発現していました。さらに調べると、ATF5の発現量を抑えるとIntegrin-β1の発現も減っていたので、これが細胞の動き・浸潤に関与することがわかりました。

さらに、ATF5が個体の中で実際に悪影響を与えているかを調べるために、マウスで実験したところ、放射線照射の前後で形成された腫瘍の大きさに差が出たうえ、放射線を照射しなくてもATF5をたくさん発現させると、生体内でがん細胞がよく定着することがわかったのです。

この実験からどんなことがわかるのですか?

私たちの結論として2015年初めにOncotarget誌に発表したのは、次のような内容でした。
細胞周期のうちG1期に入ると細胞はATF5の発現が上昇しますが、他の期ではATF5の発現が下がります。発現が上下する時期が交互にやってくるのです。照射される細胞群には、ATF5が多く発現している細胞とそうでない細胞がまだらに入っているわけで、放射線照射の際に発現が低かったがん細胞は死滅しますが、G1期でATF5が高発現の細胞は生き残るという現象が起こります。クローン株であるP-3株でもこの現象がみられました。生残した細胞にあるATF5は、生き残ることに関与するだけではなく、Integrin-β1の発現を上昇させたり腫瘍形成を高めるので、がん細胞の悪性化につながるのです。

これまでの一連の実験はヒトの肺がん細胞で行いましたが、他のがん細胞でもATF5が重要であることがわかってきています。おそらくATF5は固形がん全体に対して普遍性をもつタンパク質であるという仮説のもと、さらに研究を進めているところです。

【ATF5ががん細胞にもたらす放射線生残と悪性化の機序】

注釈
【細胞周期(cell cycle)】
ひとつの細胞が二つの娘細胞を生み出す過程で起こる一連の事象、およびその周期。
【G1期】
DNA合成の準備期