研究紹介

インタビュー

ピンポイントで遺伝子発現をON/OFFする化学的スイッチの開発

ゲノムの性質が変わったと思う場所では、アセチル化を変える酵素(HDAC)が出ていることがわかっている。この酵素を阻害するHDAC阻害薬はすでに存在している。HDAC阻害薬を投与した場所ではヒストンのアセチル化が起こるので、巻きついた糸がほどけて遺伝子が活性化される。ここで問題なのは、発現してほしい遺伝子のところだけにピンポイントでHDAC阻害薬を作用させるのが難しいことにあった。細胞全体がアセチル化されてしまっては、本来働いてほしくない遺伝子まで活性化されてしまうおそれがある。
そこで永瀬所長は、ドラッグデリバリーの技術なしで、めざす塩基配列がある場所までHDAC阻害薬をピンポイントで運んでくれる化合物の合成に取り組んだ。化合物に選んだのがピロール・イミダゾール・ポリアミド(PI Polyamide)で、この低分子有機化合物は生体内で安定で、ベクターなしで細胞の核内にとりこまれる特徴をもった転写活性抑制剤として知られている。

「HDAC阻害薬には、FDAの認可をうけたSAHA(サハ)という抗がん剤を使います。開発した技術で自動合成した化学物質に、SAHAをくっつけてゲノムのところまで運んでもらうのです。運ばれた場所でアセチル化が起こり、ゲノムの構造が変わってきます)

現段階では、薬を運ぶ場所を特定のゲノムにピンポイントに定める手段ができたところ。これは京都大学の杉山弘研究室(生物有機化学)やカリフォルニア工科大学そして日本大学との共同研究で、京都の島津製作所が製作したペプチド合成機(Peptides Synthesizer)に改良を加えた合成機によって、予測どおりに自動合成できるようになった。この技術で特許も取得している。
もちろん課題はまだ多いという。

「自動合成したものをSAHAにコンジュゲート(接合)する技術は、いまのところ50%くらいの成功率。これをコンスタントに成功させる技術が開発途中という段階です。まだ動物実験をするほどの量ができないことは課題の一つですが、無理して動物実験に急ごうとは思っていません。in vitroの反応をしっかり見ていく方針で取り組んでいます」

ちなみに「細胞の運命を変える」というキーワードでいえば、いま最も話題になっているiPS細胞も該当するだろう。京都大学iCeMS研究所でも、永瀬氏らが発明した PI Polyamide-SAHA を利用して、山中因子の発現を行なっているそうだ。

島津製作所PSSM8ペプチド合成機の応用による自動合成と同社HPLCによる精製

島津製作所PSSM8ペプチド合成機を改良した装置により自動合成したのち、同社のHPLCにより精製を行なう

2本鎖が螺旋階段のようなスパイラル構造のDNA

DNAは2本鎖が螺旋階段のようなスパイラル構造。
自動合成した化合物がDNAの二重螺旋に結合すると副溝(minor groove)を広げ、横の溝(major groove)を狭める。塩基ATGCからなる文字列を認識した証拠だ。

注釈
【HDAC】
histone deacetylase
ヒストン脱アセチル化酵素。

【HDAC阻害薬】
inhibitor
DNAのメチル化やヒストンのアセチル化を変える薬として現在認められているのは4つ。SAHA(suberoylanilide hydroxamid acid)はその1つで、2006年に抗がん剤として認可され、皮膚T細胞リンパ腫や多発性骨髄腫の治療に使われている。

【ドラッグデリバリー】
drug delivery
薬物送達。病気のある場所まで薬を運搬すること。

【ベクター】
vector
ここでは「遺伝子の運び屋」という意味で使われる

【FDA】
Food and Drugs Administration
米国食品医薬品局

【転写活性抑制剤】
遺伝子の塩基配列の「転写」を抑制する。遺伝子の塩基配列は核内でRNAに転写されたのち、核外へ出てアミノ酸配列に変換されて(翻訳)タンパク質を合成する。

【特許の取得】
前職の日本大学大学院教授時代に取得、出願人は学校法人日本大学

【杉山弘】
京都大学物質‐細胞統合システム拠点=iCeMS・理学研究科教授

【iPS細胞】
人工多能性幹細胞。2007年11月に京都大学の山中伸弥教授らがヒトの皮膚細胞からつくりだすことに成功