研究紹介

インタビュー
がんの組織多様性を生み出すがん幹細胞

ところで、ヒストンH3K27のメチル化は、がんとどのように関係しているのだろうか。

腫瘍にはいろいろなタイプの細胞が混ざっている。これを組織多様性といい、がんの治療が難しい原因の1つとなっている。特定のがん細胞をピンポイントで攻撃しても、別のタイプのがん細胞が生き残ってしまうからだ。この組織多様性を生み出すのは、腫瘍中に存在する「がん幹細胞」である。がん幹細胞は、自分自身が増殖する一方、一部は周りの環境に応じてさまざまな細胞に分化する。先述のようにH3K27メチル化は発生過程での分化にかかわっていることから、がん幹細胞の分化にもH3K27メチル化が関与しているのではないかと近藤教授は考え、実際にがん幹細胞を樹立して検討した。

「興味深いことに、がん幹細胞から分化した細胞を、もう一度未分化培地に戻すと、元の未分化な状態に変化しました。また、別の研究グループが、がん幹細胞は分化と脱分化の平衡状態にあるということを報告しており、我々もそのような状態をこの実験で確認しました。がん幹細胞は、自分自身はどんどん増殖するし、周りの環境に応じて分化したり脱分化したりもするし、非常にフレキシブルな細胞集団なのです。そして、このがん幹細胞の分化と脱分化のゆらぎに、H3K27メチル化のダイナミックな制御がかかわっているのではないかと考えました」と近藤教授は研究の着眼点を語る。

【がん幹細胞の分化と組織多様性】

がん幹細胞は分化と脱分化を行き来するゆらいだ状態にあり、周囲環境の影響を受けて、さまざまな細胞に分化し、組織多様性を生み出す。近藤教授はこれにH3K27メチル化が関与しているのではないかと考えた。

近藤教授らが、多形膠芽腫という脳腫瘍のがん幹細胞を樹立して、エピジェネティクスとの関係を調べたところ、このがん幹細胞の分化は、H3K27メチル化酵素であるEZH2が制御していることがわかった。EZH2の働きを阻害すると、がん幹細胞は分化しなくなったのだ。さらに、がん幹細胞を移植して腫瘍を形成したマウスにEZH2の阻害剤を投与すると腫瘍は消えた。「やはりダイナミックなエピジェネティクスの機構ががん幹細胞のゆらぎにかかわっている可能性が高いことがわかりました。我々が考えている治療法は、エピゲノムの治療によって、がん幹細胞のゆらぎを止めた上で、『まずこの細胞、次はこの細胞、・・・』と狙い撃ちしていく方法です。いくつかの薬を併用する必要がありますが、そうすることによって、がんの組織多様性による治療抵抗性という課題がクリアできるはずです」。

【がん細胞のゆらぎとエピゲノム治療薬】

エピゲノム治療薬によって、がん細胞のゆらぎを止め、腫瘍の組織多様性を制御した上で、がんを治療する。

実際に、EZH2の特異的阻害剤は、すでにいくつか発見されており、臨床試験の始まっているものもある。ただ、EZH2が過剰発現しているにも関わらず、阻害剤が効かないがんも少なからず存在し、さらなる研究が必要である。「EZH2によるH3K27メチル化では、遺伝子の発現が抑制されますが、対象となりうる遺伝子はたくさんあります。それらのうちの特定の遺伝子だけが制御されるしくみをはじめ、詳細なメカニズムを解明し、薬のターゲットとしていきたいと考えているところです」と近藤教授は話す。

従来の抗がん剤はゲノムの異常をターゲットにするものが多かったが、エピゲノムの異常は可逆的であるため、これまでとは異なる階層で作用するユニークな抗がん剤となりうる。このため、すでに臨床応用が始まっているものを含め、さまざまなエピゲノム治療薬が開発されている。しかし、エピゲノムの異常ががんにつながる詳細なメカニズムがまだ不明であるなど、課題も残されている。こうした状況の下、近藤教授は、臨床応用に向けた研究を進める一方で、基礎研究にも力を入れ、よりよいエピゲノム治療の実現を目指している。

近藤 豊 教授

TEXT:秦 千里 PHOTO:大塚 俊
取材日:2014年8月6日