研究紹介

インタビュー
代謝からエピゲノムへ

「がん幹細胞の代謝異常がわかりましたが、私たちの次の疑問は、がん発症までになぜこんなに時間がかかるのかということでした」。前述したように、60〜65歳でがんを発症しても、体内では30年以上も前にすでにがん化のためのイベントは始まっている。がんの発症までには長い時間がかかるが、代謝は1日のうちでも大きく変動する。時間スケールが大きく違う、がんの発症と代謝の間の関係がわかれば、代謝を制御することでがん幹細胞を抑え込むことができ、がんの発症や再発を防ぐことができるかもしれない。このような発想から、石井特任教授らは、グルコース代謝の鍵を握るピルビン酸キナーゼ(がん細胞で見られるPKM2という形のもの)について、さらに研究を進めた。

「ピルビン酸キナーゼは細胞質にたくさん存在しており、細胞質でグルコース代謝を調節するのが仕事だと考えられてきました。ところが、転移するがん細胞では、この酵素は細胞質だけでなく、核内に移行し、遺伝子の転写を調節するシグナルを送っていることがわかったのです」と石井特任教授は説明する。ピルビン酸キナーゼ、核、細胞膜を別々の色の蛍光色素で染め分けて観察したところ、ピルビン酸キナーゼが確かに核に移行していること、それには、上皮間葉分化転換(EMT)という現象が関与していることが明らかになった。

【ピルビン酸キナーゼの核移行】

青く見えている核の中で、赤く見えているのが核内移行したピルビン酸キナーゼ(大学院生浜部敦史、助教今野雅允ら)。 Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 15526, 2014より転載。Copyright (2015) National Academy of Sciences, USA

さらに、大腸がん患者のステージごとの生存率とピルビン酸キナーゼのシグナルの強さの関係をみると、初期のがんの患者さんでは、ピルビン酸キナーゼのシグナルが弱い人がほとんどで生存率も高かったが、転移が見られる末期の患者さんでは、シグナルが強いほど生存率が低い傾向がみられた。ピルビン酸キナーゼの活性ががんの転移に関わることが示されたわけだ。「ゲノム・エピゲノムの異常が代謝の異常を引き起こすことはよく知られていますが、これは、代謝の異常がエピゲノムの異常を引き起こすという、まったく新しい事例です」と石井特任教授は話す。

ゲノムDNAがどのように使われるかを制御するしくみをエピゲノムという。がん化は、遺伝子の変異によって起こるものと考えられてきたが、エピゲノムの異常もがん化と関わることが近年知られるようになった。石井特任教授らは、がん幹細胞における代謝の異常がエピゲノムの変化を引き起こし、その変化が長く維持されることで、がんの発症や転移に関わることを明らかにしたのである。