研究紹介

インタビュー
Basal-like乳がん幹細胞を維持するシグナル伝達機構

では、がん幹細胞の周囲の細胞は、どのようにしてがん幹細胞にシグナルを伝えているのだろうか。細胞と細胞が接触してシグナルを伝えるのか、それとも周囲の細胞からシグナル分子が細胞外に出て、それががん幹細胞に作用するのか。

それを調べるために、今度はNF-κBの活性を上げたがん細胞とNF-κBの活性を変化させていないがん細胞とがくっつかないように、2層になった培養皿を使って実験した。すると、がん幹細胞の割合は少しだけ増加した。一方、両者を一緒に培養すると、がん幹細胞の割合は大きく上がった。「おそらく細胞どうしが結合してシグナルが伝わる経路と、シグナルが外に出る経路の両方があるのでしょう。ただし、細胞どうしが結合する経路のほうが寄与は大きいので、こちらの経路に焦点を絞りました」と井上教授は説明する。

周囲の細胞のNF-κB活性化によるシグナルを、がん幹細胞ではどんな分子が受け取るのだろうか。井上教授らはNotchというタンパク質を介するシグナル伝達がNF-κBで制御されていることを突き止めた。Notchは細胞膜に存在するタンパク質で、細胞外の領域にリガンドが結合すると活性化し、細胞内にシグナルを伝える。がん幹細胞ではNotchシグナルの活性が上がっており、周囲の細胞のNF-κB活性を上げると、がん幹細胞のNotchシグナルがかなり上昇した。このことから、やはりNF-κBはがん幹細胞のNotchシグナルを介して、がん幹細胞の維持に働いていることが推察された。

さらに調べていくと、NF-κBの活性化によってNotchのリガンドのうちJag1というタンパク質が発現し、Jag1の発現が近傍の乳がん幹細胞のNotchシグナルの活性化を促し、そうして乳がん幹細胞の割合を増加させていることがわかってきた。

【Jag1とNotchの結合による細胞間シグナル伝達】

NF-κBの活性化によって非がん幹細胞の細胞膜にJag1が発現し、Jag1ががん幹細胞の細胞膜にあるNotchと結合することで、Notchシグナルががん幹細胞内に伝達される。

「“NF-κB→Jag1→Notchシグナル”という経路でがん幹細胞の維持が制御されていると考えられます。興味深いことに、この経路によるがん幹細胞の維持は、Basal-like乳がんに特異的に見られるもので、他の3種類の乳がんでは見られませんでした。Basal-like乳がんにおいて、NF-κB→Jag1→Notchシグナル経路を遮断すれば、腫瘍中のがん幹細胞を撲滅できるはずです。つまり、NF-κB、Jag1、NotchはBasal-like乳がんの治療標的分子の候補と考えられ、新規治療法開発への応用が期待されます。ただし、これらのタンパク質はがん幹細胞の維持だけでなく、生命現象においても大事な役割を担っています。現在、乳がんの臨床検体を用いてこの機構の重要性を明らかにしつつあり、臨床応用に向けて検討を行っています」と井上教授は話す。

【NF-κB−Jag1−NotchシグナルによるBasal-like乳がん幹細胞維持機構】

(a)腫瘍中の大多数を占めるがん細胞で、NF-κBは恒常的に活性化しJag1を発現誘導している。Jag1はがん幹細胞のNotchシグナルの活性化を介して乳がん幹細胞の自己複製を誘導する。(b)乳腺上皮細胞や線維芽細胞、マクロファージといった正常細胞においても、妊娠や炎症によってJag1の発現が誘導されることがわかった。腫瘍中ではがん細胞だけでなく、これらの正常細胞も、がん幹細胞の生存や増殖を支えるニッチと呼ばれる微小環境を構成していると考えられる。

注釈
【リガンド】
受容体(刺激を受け取るタンパク質)に結合して、受容体を活性化する物質。