研究紹介

長年の白血病研究と放射線研究で蓄積されたデータから人々がもつ「放射線と発がん」の不安に応えていきたい MDS原因遺伝子の同定と解析を通じた細胞分化制御システムの解明 広島大学原爆放射線医科学研究所 がん分子病態研究分野 稲葉俊哉 教授
2011年3月以降、人々の「放射線と発がん」に対する不安は募るばかり――放射線研究の専門家が見解を求められる場がにわかに増えた。長年の白血病研究と放射線研究に基づく科学的根拠と冷静な分析によりいたずらに不安をあおることなく‘正しくこわがる’ための指針を示していきたい。

「3.11」以後、関心高まる「放射線と発がん」の不安に応えてきて

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、大津波による福島第一原発でおきた水素爆発による放射性物質漏れ事故は、日本ばかりか世界に大きな衝撃を与えた。目に見えず、においもない放射線だけに、周辺住民ばかりか広範囲にわたる人々の不安をあおった。そしてその不安や影響はいまなおつづいている。

2011年で創立50周年を迎える広島大学原爆放射線医科学研究所も、原発事故発生後、いちはやく放射線被曝対策に取り組んだ。広島大学からは、のべ1200人の医師・放射線技師・看護師等が福島に派遣されて現地で活動したほか、政府や福島県への助言、被災者や一般向け講演など幅広く支援活動を行なってきた。この研究所の副所長でもある稲葉俊哉教授のもとにも専門家としての意見を求める依頼が多数届き、対応に忙殺されたという。

多くの人が3.11以前は放射線被曝のことをほとんど意識せずに生活してきた。実際、いまほど「放射線と発がん」について関心が高いときはないはずだ。稲葉教授は、言葉を一つひとつ選びながら説明をしてくださった。
「原爆の被爆者を60年以上追跡した結果、‘一度うけた被曝の影響は生涯残る’という結論が得られています」というから、こちらは思わずぎょっとしたが、教授の言葉はさらにつづく。「ただし、一度浴びたからといってすぐにがんになるわけではありませんし、放射線にあたっただけでがんになるというわけでもないのです」

その根拠として稲葉教授があげたのが「多段階発がん」という考え方。
「‘放射線を1回浴びたら即、白血病になりました’などということはけっしてなく、たとえば‘農薬が混入した食品を食べて中毒になった’というような、因果関係が明確な疾病とはまったく別ものなのです」。人ががんになるのは長い年月のあいだのいろいろな出来事をうけてのこと。「それをわれわれは学問的に‘多段階発がん’と表現しています。がんになるまでにはステップがいくつもあり、放射線被曝はそのたくさんあるステップのうちの一つでしかない。白血病のように、放射線被曝後比較的早い時期に出てくるがんの場合でも、被曝はあくまでステップの一つです。発がんまでの段階の数は諸説わかれるところですが、少なくとも3つ、4つはあると考えられています。‘放射線がポンとあたった、ハイ、がんになりました’ではなく、放射線があたる前からなにかのステップを踏んでいたところに放射線があたり、さらに別の出来事が加わって…というように、いくつもの悪い出来事が重なった結果、発がんに至るのです」とのこと。「一人ひとりの立場に立てば、たとえ高い線量を浴びても、結果的には、がんにはならないことが多いということを知っておいてほしいのです」

田原 栄俊 稲葉 俊哉(いなば としや)
広島大学 原爆放射線医科学研究所 副所長 がん分子病態研究分野 教授

医学博士。東京大学医学部卒。埼玉県立小児医療センター、St. Jude Children‘s Research Hospital、自治医科大学講師などを経て、2001年広島大学原爆放射能医学研究所教授。
2009年から副所長。専門は血液学(白血病発症メカニズム、小児血液学)、分子生物学、放射線生物学。