研究紹介

インタビュー

「多段階発がん」を踏まえて被曝への理解をひろげたい

いまでこそ、稲葉教授は放射線被曝の影響や対策について意見を求められる立場にあるが、もともとは小児科医として小児の白血病を専門に臨床及び研究をされていた。子どものころからの夢は研究者になることだった。「でも、大学院に何年も在籍するような研究者生活は、家計に負担をかけると思い、高校の進路指導の先生に相談したら、医学部進学を薦められました。医師なら、臨床しながらリサーチもできるよ、と。というわけで、医者になったのは、実は怪しい理由からなんです」と謙遜ぎみに語る稲葉教授だ。

医学部卒業後、選んだのは小児科医、それも白血病を専門とした。「小児科医の中で白血病を専門にするというのは、変わっていたほうかもしれない」と言うが、「むかしテレビでみた小児病棟ものの番組で白血病の子どもたちを診る医師がかっこよく見えて……これが、冗談半分、本気半分の動機なんです」と、さらに謙遜気味な答えはつづく。

小児血液の専門医として埼玉県立小児医療センター(旧岩槻市)につとめて4年がたったころ、突然の「休業宣言」。「いまでこそ減ってきましたが、当時は白血病の子どもがどんどん死んでいきました。そんな姿を目の当たりにしていたら、精神的にもたなくなってしまい、一度、休みたくなったんですね」

そして、たまたまもちあがった留学話にのり、アメリカに2年滞在のつもりが気がつけば6年。「もともとリサーチ好きでしたから、やりだすととまらなくなってしまって。一時は、このままアメリカで研究をつづけようかとも考えました」という稲葉教授に、自治医大からの帰国要請があり、分子生物学講座で白血病研究をつづけた。そして在籍5年がたったいまから11年前、現在の広島大原爆放射線医科学研究所に移った。放射線と本当の意味で向き合うことになったのは、実はここからなのだという。

「白血病の基礎研究を50年間連綿とやってきた、被爆地広島ならではの大変ユニークな研究室を担当することになり、自分のやってきたこと、やりたいこととぴったり合っていました」と語る稲葉教授だが、「実は、この研究所に来た時点では、放射線のことはともかく、原爆被害のことはあまりよく知りませんでした。たとえば、爆心地から何キロ地点で被爆した人が被爆直後にどんな影響をうけたのか、あるいは現在までどんな影響がつづいているのかといったことは、正確には知らなかった」とふりかえる。研究所赴任以後は、学生への講義もあれば一般向け講演もあるため、「放射線と発がん」について徹底的に勉強した。現在では、自分の研究生活のうちの4割程度が、放射線と発がんに関するものだという。

「そして2011年3月の福島原発事故があって、にわかに注目を集めるテーマになってしまいました。こういうときこそ、自分の立場で話をすることで世の中の役に立てればと思っていますが、なにをどう語るか、とても難しいことだとも実感しています」