研究紹介

インタビュー
ピロリ菌のがん化合物と炎症は、”発がんスパイラル”をどう加速させるのか ピロリ菌感染ががんを起こすメカニズムというのは、すべてが解明されているわけではないが、重要なことはいくつか分かっている。まず、ピロリ菌がいないとがんにはならない。さらに、ピロリ菌由来の発がん分子が胃の細胞に供給されつづけることが胃がんの発症には必要。ただ、このピロリ菌由来の物質だけではがんを作り出す力はどうもあまり強くない。

畠山教授は、「ピロリ菌が作る発がん物質だけでは胃がんは簡単にはできない。そこには胃がんを効率よく誘発するための特別なトリックが必要となる……。そのトリックというのは、経済用語にデフレスパイラルという言葉があるが、それと同じように、いったんその方向が決まると不可逆的かつ加速度的に事が進んでいってしまう状態が発がん局所に作られる。この状況を“発がんスパイラル”と名付けたのですが、がんのプロセスが一気に加速される場の形成であり、その背景には「炎症」という生体応答が深く関与していると考えているのです」という。

感染などでダメージを受けた局所が赤くなり、腫れて熱を持ち痛くなるという「炎症」は、19世紀には知られていた生体応答であるが、なぜそのような生体反応が起きるのかは、最近に至るまでよく分かっていなかった。生体応答としての炎症をのプロセスが、いわゆる分子の言葉で解明できる条件が整ってきたのは、ここ10〜20年の研究の成果だそうだ。 発がんスパイラル
私たちは「免疫」という、いろいろな病気から自分の身体を守る防衛システムを持っているが、炎症というのはある種の「免疫応答」であって、どういう免疫細胞がどういう物質を出して炎症を引き起こすのか、感染した場所が赤くなったりするのはどうしてか、ということがようやく明らかになってきた。ピロリ菌感染も胃粘膜に持続的な炎症(胃炎)を引き起こす。この胃炎の存在が、ピロリ菌発がん物質による胃がん発症を強力に促す「発がんスパイラル」場の形成につながるというわけだ。免疫/炎症は必ずしも我々を病気から守ってくれるばかりでなく、時にがんのような恐ろしい病気の発症を手助けすることもあるというのはまことに皮肉な話である。

ピロリ菌による胃がんの発症メカニズムは、マウスを用いたモデル実験でも研究が進められている。畠山教授の研究室では、ピロリ菌由来の発がん分子の設計図をマウスのゲノムに組み込んだ。作成された遺伝子改変マウスでは全身の細胞でピロリ菌発がん物質が産生され、そうしたマウスは胃がんや小腸がん、さらには白血病を発症する。ピロリ菌感染、がんに直接関係しているということがネズミでも証明されたのである。

畠山教授はこうしたマウスモデルを用い、質的に異なる種々の炎症を胃粘膜に付加することによって、胃がんができてくる頻度や速さがどのように変化するのか、発がんを促進する炎症の原因となっている物質は何か、といった疑問を動物レベルで研究するシステムを構築している。今後、ピロリ菌感染による胃粘膜炎症がピロリ菌発がん物質による胃がんの発症を加速していくプロセスを分子レベルで解明したい、と話してくれた。

「胃がんに限らず、炎症に関わるがんというのは他にたくさんあります。大腸がんとか膵臓がんとか肝臓がんもそう。ひょっとしたら肺がんもそうかもしれない。肺がんはタバコを吸うことによる慢性炎症というのが背景にあるから。そうした炎症を背景にして起きてくるがんを含め、「発がんスパイラルを司る」炎症を止めれば発がんを阻止あるいは遅延させることができるという明確な答えを5年以内に出したいと思っています」

注釈
【デフレスパイラルと発がんスパイラル】
「デフレスパイラル」は、デフレーション(deflation)とスパイラル(spiral らせん)を掛け合わせた経済用語。物価が下落しても、需要(消費)の上昇が見られないために経済の停滞と縮小が起こり、さらに景気がらせん階段を降りるように下降していくことを表す。「発がんスパイラル」は、感染・炎症が発がんを促すプロセスが、らせん状の下降を始めると止めることが難しくなるイメージから名付けたもの。