概要・活動内容

国際交流委員会

米国Biophysical Society 59th annual meetingsに参加して

東京大学医科学研究所 分子細胞情報分野
冨田 太一郎

はじめに

2015年2月8日〜11日、新学術領域研究「がん支援」国際交流海外派遣支援事業の助成により、米国ボルティモア・コンベンションセンターで行われたBiophysical Society 59th Annual Meetingに参加する機会を頂きました。Biophysical societyはアメリカ国内だけでなくアジアやヨーロッパにも多数の会員がおり、例年6000人もの参加者が集う生物物理学では世界最大規模の学会です。オープンな雰囲気で様々な国の研究者と議論を尽くせるという点で非常に魅力のある学会です。生物物理という名前の通り、参加している多くの研究者が物理科学的な解析手法を用いて生命現象を理解することを目指しており、電気生理、分子イメージング、構造解析をはじめとして、非常に先駆的な生体分子計測や分子操作に関する研究が多数発表されています。

私の研究テーマについて

私は細胞の環境応答のシグナル伝達について研究しており、特に、単一細胞レベルで細胞内シグナルをイメージングすることによって、環境応答を司る分子ネットワークの構造と機能を理解する研究を進めています。今回の学会では代表的な環境応答シグナルであるストレス応答MAPキナーゼ活性を可視化する研究について発表しました。
一般に、細胞は外界から刺激をうけて活性化されるとその刺激の情報に応じた適切な細胞応答を誘導して、例えば細胞の増殖や分化、細胞死などを引き起こします。近年のゲノム解析といわゆる-omics解析の進歩によって、それぞれの細胞応答にどの因子が関与するかは明らかにされてきていますが、生きている細胞の中で刺激の情報がどのような形で伝達されて適切な細胞応答が誘導されているのかはよく分かっていません。今回、私たちはストレス応答MAPキナーゼp38のリン酸化シグナルの可視化手法を新規に開発し、この手法を用いて刺激の種類毎にp38のリン酸化シグナルにどのような違いを生じるのかを観察しました。p38の活性化は細胞死や細胞周期の制御に密接に関わるために抗がん剤や抗炎症薬の標的分子としても注目されていますが、p38についてはこれまで生化学的あるいは遺伝学的な手法での解析が中心であり、生きた細胞内のシグナルを理解することは困難でした。今回の私たちの研究によってp38活性を細胞内で実時間観察したところ、p38は予想外に非常に動的な活性制御を受けており、時間と共に多様な変動パターンを示すことが明らかになりました。さらにこのとき、刺激の種類の情報がキナーゼ活性化の動的な変動パターン(タイムコース)の違いとして細胞内に伝達されていることが分かってきました。
がん研究を進める上で、がん細胞の増殖や細胞死誘導のメカニズムを解明することは非常に重要なテーマですが、現時点では生体分子イメージングを適用できる分子や観察対象は限られており、今後、動物個体にも応用できる分子計測法や新たな細胞内シグナル制御法を開発する必要が高まっています。そこで、これらの問題に取り組むために、分子計測や分子操作の専門家と意見交換を行う目的でこの学会に臨みました。

学会にて

学会は、朝8時から午後9時頃まで非常に密にスケジュールが組まれていました。印象的だったのは、若手向けの教育プログラムがほぼ終日にわたって組まれており、論文の書き方から研究費獲得の方法などの研究者としてやっていくための「How-to」を扱うものから、企業への就職面接でアカデミック研究者にありがちな質疑応答を考えるワークショップやJob Postingなどの就職支援情報まで充実していたことです。中には、アカデミックから企業へのキャリアパスを希望するがなかなか踏み出せない研究者への意識改革セミナーという興味深いものもあり、学会としての若手支援は非常に手厚く実践的と感じました。生物物理という学問は産業界に必ずしも近くないと思われがちですが、実際には実学として新しいテクノロジーを生み出すために必須の領域であり、研究者がアカデミック以外の場所に出て活躍できるようにすることは非常に重要です。若手研究者の多様なキャリアパスを積極的に支援すべきであるという強いメッセージがこの学会のプログラム編成からも伝わってきました。
面白いところでは、Biophysical society TVといって、学会のトピックを動画として収録しながら会場内の各所で放映するという面白い試みもありましたが、かなり本格的な収録スタッフがTV中継さながらに参加者にインタビューをしていました。また、TVの他にFacebookページや学会専用スマホアプリなどからも意見の書き込みができるようになっており、参加者からのフィードバックを積極的に収集したり、研究者同士のコミュニケーションがとりやすいようにという運営側の配慮も感じられました。

学会では様々なテーマでセッションが組まれていましたが、生体分子の操作法やイメージングに関する演題が前回にも増して多くなってきたという印象です。その中でも、構成生物学的に人工的な細胞構造や分子回路をつくる研究が複数のグループから発表されて注目を集めていました。また、DNA origamiやリボザイムなど、核酸を用いた構造体や任意の触媒活性の創出についての発表も出されていましたが、核酸は生体への親和性が非常に高いため従来有機分子で作られてきたものと置き換えることでより安全なDrug-Delivery法として用いたり、また、核酸自体を薬として使う試みが進められているという興味深い内容でした。地元ボルティモアのJohns Hopkins Univ.の井上先生のグループからは生きた細胞内でゲルを作る試みが発表されており、この方法を用いるとオルガネラの間に人工的な細胞内障壁を任意のタイミングで誘導できるという面白い発想の研究でした。標的分子自体を操作するのではなく、オルガネラの形や分子の拡散できる範囲を制限することで細胞機能を制御しようとする点が独特でした。
イメージングに関しては、イギリスMRCのグループからGPCRの分子レベルの挙動を培養心筋細胞と単離直後の心筋組織とで比較すると必ずしも挙動が一致しないことを1分子イメージングによって明らかにしたという発表がありましたが、これまでにも多くの研究者が個体の中の細胞と培養細胞とではシグナル伝達の様子が異なる、と漠然と考えたり経験的に感じてきたことを、実際に分子状態の違いとして定量的なデータから説明していた点が非常に印象に残りました。驚いたことに、1分子イメージングだけでなく、蛍光寿命イメージングやスペクトルイメージング、FRETやFCCS、超解像やライトシート顕微鏡などの新しいイメージング手法も予想以上に普及している様子で、この分野のスピードの速さを実感しました。
細胞のシグナル伝達の解析では、東京大学の澤井先生のグループから粘菌の走化性シグナルと外界の刺激パターンとの関連をmicrofluidicsを用いて明快に示しておられたのが印象的でした。特に、様々な濃度勾配の刺激をmicrofluidicsを用いて再現して、同時にシミュレーションによる応答予測なども組み合わせた研究は非常に分かりやすく学ぶべきことが多い内容でした。また、その他の研究者からも、microfluidicsを応用して単一細胞レベルの刺激-応答を観察することで細胞内シグナルに含まれるノイズや、細胞間のネットワークを推定するという研究も発表されており、いずれも興味深い内容でした。microfluidicsを使った研究の利点は操作のほとんどをコンピュータを用いてオートメーション化できるため、人間の手によるエラーを最小にできることだそうです。今回、物理を専門にされている方と話していて、人間の手によるエラーを排除することの重要性を力説してくださったのがとても印象深く記憶に残りました。

おわりに

会議場はボルティモアで最も栄えており、観光地としての開発が進められているインナー・ハーバーという地域にあり、その辺りはかつて貿易などで栄えた港町だったそうです。美しい湾岸の景色と歴史のある建物と新しいビル群の3者のコントラストが印象に残る場所でした。地域によって貧富の差も激しいということで、行く前には治安に不安を感じていましたが、近くには国立水族館や海洋博物館もあり、またWashington,D.C.にも距離が近いこともあってか思っていたよりもずっと都会で過ごしやすいところでした。そのような地球の反対側まで行って、自分の研究の話を聞いてもらうという体験はとても非日常的でしたが、覚えているだけでも、インド、台湾、中国、ドイツ、アメリカ、イギリス、日本の方々がかなり真剣にdiscussionに応じてくれました。思いもよらない様々な考え方に触れて、気づかされることは多々あり、遠いけれどもやはり行ってきて良かったと感じています。
最後になりますが、この貴重な機会を与えて下さいました「がん支援」国際交流委員会の石川冬木先生ならびにご関係の先生方、また事務手続きでお世話になりました平野尚子様に深く感謝いたします。

インナー・ハーバーの風景